ターボル派とは? わかりやすく解説

ターボル派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/06 04:53 UTC 版)

フス派と十字軍の戦い(Jena Codex、15世紀)

ターボル派(ターボルは、チェコ語:Táborité/単数形:Táborita)は、中世のボヘミア王冠領に存在したフス派の過激派。

概要

ターボル派は15世紀チェコターボルを拠点とした。他にも多くの派閥が存在したが、ヤン・フスの火刑がきっかけになった事からまとめてフス派と呼ばれる。

特徴

ターボルの金鉱を資金源とし、キリストミレニアムを宣言した。主人も奴隷も無く、資産は全て共有し、税の無い社会を目指した[1]。原始的無垢に戻れると約束した彼らについて、Murray Bookchinは無政府共産主義の初期の例とした[2]。ターボル派の理論は中世カトリックから見れば最も過激なものの1つだったが、彼らはスコラ学に沿って古い理論を破ろうとした。

代表的理論家

ヤン・ジシュカ率いるターボル派

ヤン・ジシュカは貧しいボヘミア人で軍隊を編成し、神聖ローマ帝国ジギスムント率いる十字軍を迎え撃った。ジシュカは捕虜を皆殺しにすべきとは考えず、しばしば彼らに慈悲を与えた。彼の軍がジシュカに反抗して多くの捕虜を殺害した際には、彼らに許しを得る為に祈るよう命じた。ジシュカは申命記を一部参考に、兵法書の「Žižkův vojenský řád」を書いた。やがてターボル派が過激化するとジシュカは見切りを付け、より穏健なオレープ派フラデツ・クラーロヴェーで率いるようになった。しかし、外敵からの度重なる攻撃に対しては、ターボル派とオレープ派は宗派の違いを超えて共同戦線を張る事が多かった。一度フス派が勝利を収めて外敵が除去されると、フス派内で争いが起きるようになった。

1434年5月30日、ターボル派はリパニの戦いで大敗し、1万8000人の兵の内1万3000人が戦死した。

1437年、ターボル派はジギスムント皇帝と講和した。

1452年ターボルの支配権と政治的影響力を失った。

1457年モラヴィア兄弟団がターボル派の思想を受け継いで結成された。

関連項目

脚注

参考資料

  • The Hussite Wars (1419–36), Stephen Turnbull, Osprey Publishing ( ISBN 1-84176-665-8)

外部リンク


ターボル派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:43 UTC 版)

ヤン・フス」の記事における「ターボル派」の解説

15世紀初頭10年間に、ウィクリフ主義ボヘミア土壌移植され広まったウィクリフ主義フスの死までに、いわゆるフス主義として維持され、それからウトラキスト転じ、さらにターボル拠点とするターボル派につながったフスコンスタンス公会議で「ウィクリフ聖餐に関する考えには賛同しない」と主張したが、それが事実かは確かでないボヘミア土壌で、ウィクリフ聖餐論広く受け入れられた。まず、主の晩餐についてのウィクリフ教義は、1399年にはプラハにも広まった考え根拠がある。聖餐論1403年禁止されたが、その後もさらに広がりをみせ、フスもそれを説き教えていた。 ただし、フスウィクリフ聖餐論を単に説明しただけで、賛同はしていなかったという可能性考えられるこの後に、聖餐論教義急進的なターボル派の一党強く惹きつけ、ターボル派の唱える教義中核となったフス支持者フス派として知られるフス死後ボヘミアではフス人気根強く貴族たちの間では反カトリック同盟結成された。

※この「ターボル派」の解説は、「ヤン・フス」の解説の一部です。
「ターボル派」を含む「ヤン・フス」の記事については、「ヤン・フス」の概要を参照ください。

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