戦争の収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/11 14:51 UTC 版)
ヤン・ジシュカが病没して10年後の1434年、フス派は連戦連勝だったが、ボヘミアの人口は減り農村は荒廃し戦費の調達で農民は疲弊した。このためフス派の間では内部抗争が起こり、リパニの戦いで大プロコップと小プロコップが率いたターボル派(急進派)がウトラキスト(チェコ語版、ドイツ語版、英語版)という穏健派によって壊滅させられ、皆殺しになった。さらに1439年、ポーランドでは既に王が代替わりしてヴワディスワフ3世となっていたが、フス派の略奪行為に手を焼いていたポーランド王国政府はついに本格的な一斉取り締まりに乗り出し、グロトニキ(Grotniki)の戦い(英語版)でポーランドにおけるフス派を壊滅させた。これによってフス戦争はすべて終わった。
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