ベトナム戦争の収束への取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)
「三木武夫」の記事における「ベトナム戦争の収束への取り組み」の解説
また、三木はベトナム戦争の和平外交にも積極的であった。佐藤は首相就任直後の1965年(昭和40年)1月、幹事長であった三木と椎名悦三郎外相を伴い訪米、ジョンソン米大統領と会見した。会見では日米関係の重要性について再確認するとともに、経済成長を背景に国際的な地位を高めつつあった日本が、米国への依存を減らした自主的な外交を進めていくことを米国側も認めた。 佐藤政権は日米関係について順調な滑り出しをしたが、ベトナム戦争で米軍が行った北爆は日本国内の対米感情を悪化させ、自民党内でも米国の対ベトナム政策に疑問を持つ勢力が現れた。例えば福田派、石井派はおおむねの北爆を支持していたが、佐藤派、川島派、三木・松村派には北爆に疑問を持つ議員が少なからず存在した。その中で三木はかねてからアジア重視の外交を主張してきており、佐藤内閣内では通産相、外相としてベトナム和平外交推進の中心的存在となる。また川島正次郎もアジア・アフリカ諸国との連携を進める中で和平のきっかけを掴もうとしていた。川島副総裁、三木幹事長のコンビが池田の後継として佐藤を決める調整を図った経緯もあり、佐藤としても三木や川島の意向を無視することは出来なかった。 北爆が続く中、政府・自民党内では北爆を支持せず、アジア人の手によって和平を達成しようと主張する意見も出されたが、親米派からの強い反対を受けた。このような中、通産相であった三木は訪米、訪仏、訪ソの際に行われた各国首脳との会談の席で、米国と北ベトナムを仲介する和平構想を話し合った。三木は各国首脳との会談を経て、日本は和平に積極的な貢献を行っていくべきで、まず休戦、次に国際会議を開催するプランを提示した。またこのプランは日本独力で行うのは困難であり、中立国、共産国も含めた協力が必要であるとした。 三木は1966年(昭和41年)12月の外務大臣就任後、ベトナム和平工作に更に力を入れるようになる。三木は北ベトナム側との話し合いの継続と、各国駐在の大使、公使に対して北ベトナムの出先機関などとの接触を試みるよう指示した。先にも触れたようにベトナム和平への積極的な関与などの活発な対アジア外交は、総理総裁の座を目指す三木にとって、佐藤との違いを明確化するといった狙いもあったと考えられる。 1967年(昭和42年)7月から8月にかけて三木はソ連、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーを訪問する。三木は各国でベトナム和平問題について提案を行い、更に9月の国連総会の席でもベトナム和平について訴えた。三木のベトナム和平への努力についてアメリカは、日本がアメリカと北ベトナム間の中立的な立場に立とうとする面があるのではと警戒するようになった。 三木がアメリカから自立的な形で行うベトナム和平工作に奔走する反面、佐藤首相は対米協調路線を強めていた。1967年(昭和42年)11月の訪米時、佐藤はジョンソンと会談し、ベトナム戦争で米国と南ベトナムを支持する姿勢を明確にした。その結果、北ベトナム側は日本が明確に米国、南ベトナム側に立ったと認識し、仲介的な立場は全く失われたと判断した。そのような中、1968年(昭和43年)1月末のテト攻勢は米国に衝撃を与え、3月末にはジョンソンが北爆停止、そして自身の大統領再選不出馬を表明するに至る。テト攻勢後、佐藤はベトナム戦争であまりにも米国寄りの姿勢を取りすぎたのではと不安を感じていたというが、北爆停止について日本に何の相談も無かったため、日本政府は大きな衝撃を受けた。 北爆停止を受け、三木外相は再びベトナム和平に向け動き出す。三木は長年にわたる戦争で疲弊した南北ベトナムに対して、経済復興を支援するベトナム復興国際基金の創設を提唱した。三木の構想ではこれまで支援の対象ではなかった北ベトナムも対象としていた。ベトナム復興国際基金構想は多くの国の賛同を得たが、東南アジア開発閣僚会議やアジア開発銀行など、既存の多国間協議や組織を利用して行う援助の枠組みが上手く機能せず、また北ベトナムを巻き込むもくろみも、北ベトナム側の反発によりなかなか進まなかった。結果として三木が主導した日本のベトナム和平工作は上手く進まなかったが、戦後、経済問題を除けば米国と一部アジア諸国に限られていた実質的な外交討議の範囲を広め、日本外交の範囲を大きく広げることに繋がり、また米国など先進国と東南アジア諸国との橋渡しを行うという日本の対東南アジア外交の基礎になったと評価できる。
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