ベトナム戦争やニクソン政権の誕生と集団的自衛権の概念の変化とは? わかりやすく解説

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ベトナム戦争やニクソン政権の誕生と集団的自衛権の概念の変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:54 UTC 版)

日本の集団的自衛権」の記事における「ベトナム戦争やニクソン政権の誕生と集団的自衛権の概念の変化」の解説

集団的自衛権を巡る状況大きく変わるのは、1960年代後半激化したベトナム戦争である。当時米国であった沖縄の米軍基地から出撃した戦闘機連日北爆行っており、国会ではこの北爆の是非が、集団的自衛権絡めて度々議論された。社会では反戦運動高まり集団的自衛権そのもの対す印象悪化した当時佐藤栄作政権は、沖縄返還交渉進めるために、政治的リスクをとって米軍作戦支持していたが、沖縄返還以降北爆継続した場合には、在日米軍行動に関する事前協議制度適用対象となることにより、更なる政治的リスク要求される可能性があった。 1969年1月佐藤政権リチャード・ニクソン政権誕生機に沖縄返還交渉始めたが、その際対外交渉国内への説明双方で、政府スタンス使い分ける態度をとる。米国との交渉においては沖縄返還後は沖縄基地においても事前協議制度適用されることになるが、制度を「弾力運用」することによって、運用上は本土含めた基地事実上自由使用できるようにした。これによって米国は、日本主体的に北爆支持を行うことで、国際的な責任感共有するようになった、と評価した。しかし国会答弁においては事前協議了承するか否か判断基準国連憲章機械的に行い、更に、日本の安全保障無関係な米軍行動には、日本実質的に関与しない、との立場をとり、ベトナム戦争には形式的な事前協議除いて日本側は関知しない立場強調した1969年2月19日高辻正己内閣法制局長官集団的自衛権というものは、国連憲章51条によって各国認められておるわけでございますけれども、日本の憲法9条のもとではたしてそういうものが許されるかどうか、これはかなり重大な問題だと思っております。われわれがいままで考えておりますことから申しますと……他国安全のために、たとえその他国わが国連隊関係にあるというようなことがいわれるにいたしましても、他国安全のためわが国兵力用いということは、これはとうてい憲法9条の許すところではあるまいというのが、われわれの考え方でございます。 — 1969年2月19日衆議院予算委員会答弁集団的自衛権合憲性初め否定的な見解示した以降日本政府は、集団的自衛権違憲である、という趣旨答弁一貫して行うようになる。 この一連の工作経て国内基地からの米軍機出撃集団的自衛権枠外事例日本政府関与範囲外米軍勝手に行っている行動)であり、更にそもそも集団的自衛権違憲である、という二重の論理で、佐藤政権国内における政治的リスクから距離を置いた。この直前安田講堂事件が起こるなど、全共闘による大学紛争ピーク達しており、高辻長官率い内閣法制局主導解釈改憲忠実に振る舞うことの政治的メリット大きかったためである。米国側も、基地使用権事前協議制度握られている以上、ベトナム紛争リスク回避を図る佐藤立場黙認せざるを得なかった。 田中角栄政権下での1972年10月14日集団的自衛権合憲性についての解釈発表した国際法上国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国密接な関係にある外国対す武力攻撃を、自国直接攻撃されていないかかわらず実力をもって阻止することが正当化されるという地位有しているものとされており、国際連合憲章第51条日本国との平和条約第5条(c)日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言3第2段規定は、この国際法原則宣明したもの思われる。そして、わが国国際法上右の集団的自衛権有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。ところで、政府は、従来から一貫してわが国国際法上いわゆる集団的自衛権有しているとしても、国権発動としてこれを行使することは、憲法容認する自衛措置限界をこえるものであって許されないとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争放棄しいわゆる戦力保持禁止しているが、前文において「全世界国民が……平和のうちに生存する権利有する」ことを確認しまた、第13条において「生命、自由及び幸福追求対す国民の権利については、……国政の上で、最大尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって自国の平和と安全を維持しその存立全うするために必要な自衛措置をとることを禁じているとはとうてい解されないしかしながらだからといって平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置無制限に認めているとは解されないであって、それは、あくまで外国武力攻撃によって国民生命、自由及び幸福追求権利根底からくつがえされるという急迫、不正の事態対処し国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめ容認されるのであるから、その措置は、右の事態排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使行なうことが許されるのは、わが国対す急迫、不正の侵害対処する場合限られるであって、したがって他国加えられ武力攻撃阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法許されないいわざるを得ない。 — 1972年10月14日参議院決算委員会提出資料 この見解文書によって、「必要な自衛措置」は「必要最小限度の範囲にとどまるべき」なので、集団的自衛権違憲である、という論理構成定まった1981年政府稲葉誠一衆議院議員日本社会党)への答弁書において、集団的自衛権憲法9条との関係について、政府解釈端的にまとめている。 我が国が、国際法上このような集団的自衛権有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものである解しており、集団的自衛権行使することは、その範囲超えるものであって憲法許されない考えている。 この時点政府解釈では、 個別的自衛権=必要最小限度の範囲内自衛措置=合憲 集団的自衛権=必要最小限度の範囲超える自衛措置=違憲 というライン自明のものとして採用されており、合憲違憲判断基準海外派兵有無から必要最小限度のライン変化しており、さらにそれにあわせて個別的集団的自衛権日本国憲法の独自の基準で再定義されていた。更に、かつて(政府答弁で)合憲とされていた集団的自衛権基地の提供や物資援助など)の取り扱いについては、「当時集団的自衛権であるとみなしていたが、現在では集団的自衛権概念の変化に基づき、これらを集団的自衛権とはみなさないものとする趣旨答弁行い1972年以前憲法解釈との整合性優先して、「現在の日本政府の解釈上の集団的自衛権を、日本行使できない」という自家撞着結論定められた。

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