ベトナム戦争以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 16:59 UTC 版)
「第103戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)」の記事における「ベトナム戦争以降」の解説
VF-103がF-14トムキャットに機種変更したのは1983年とF-14を装備する飛行隊の中で最も遅かったため、機種変更と同時にTARPSの運用能力も獲得している。また、東海岸に配備されたF-14飛行隊で初めてAIM-54 フェニックスの低高度発射を行ったのは本隊である。 F-14に機種変更してから2回目の航海中の1985年10月7日、アキレ・ラウロ号事件が発生、犯人は2日後に投降しエジプト航空機でリビアに脱出した。この事件で犯人グループはユダヤ系アメリカ人1名を殺害したため、アメリカ政府はアメリカに対するテロ行為だとして犯人の拘束を決定した。犯人の乗る航空機を強制着陸させるためにVF-103とVF-74(英語版)のF-14が発進し、犯人の乗る機を囲むようにしてイタリアのシゴネラ基地へ強制着陸させた。 1991年の湾岸戦争時にはサラトガに搭載されて攻撃隊の護衛やTARPSによる爆撃効果判定を行った。VF-103は作戦4日目にSA-2によって1機を失っている。 1995年10月1日にVF-84が解隊された事に伴い、VF-103はスラッガーズからジョリーロジャースにニックネームを変更した。また、同年からLANTIRNの運用を開始した。その後はアライド・フォース作戦、サザン・ウォッチ作戦、不朽の自由作戦に従事、2003年からのイラク戦争時にはペルシャ湾上の空母ジョン・F・ケネディから384回、計1913時間にわたって作戦行動を行い、21発のGBU-12を投下している。 VF-103は2004年にF-14からF/A-18スーパーホーネットに機種変更し、同時にVFA-103に隊名を変更している。
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