戦争の完遂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/23 09:17 UTC 版)
「ロシア・カザン戦争 (1505年-1507年)」の記事における「戦争の完遂」の解説
1506年のロシア軍の敗北にも係わらず、おびただしい数の財源を有し、敗北後、直ちに次の春の遠征の準備に取りかかった。カザン・ハンであるムハンマド・アミンは新たな遠征軍を待ち受けようとはせず、1507年3月に戦前の状況にするという和平案を使者であるアブッドーラに携えさせてモスクワに派遣し。この際にアブッドーラはエロープキン・クリャープカ大使を含む全てのロシア人捕虜を釈放することを約束した。和平条件は、西方の情勢が同地における戦力の集中を求めるというヴァシーリー3世の関心に応えたものであった。 ロシア政府は前提条件としてエロープキン・クリャープカ大使の解放を和平交渉の第一に突き出した。カザン側は和平締結の際にロシアの使節団全員を解放することを約束した。このことを条件として和平交渉が始まった。和平交渉は1507年3月17日から12月にかけてモスクワとカザンとの間で交互に行われた。 ロシア側からは大使書記兼急使であるアレクセイ・ルーキン、御前侍官である大貴族のイヴァン・グリゴリエヴィチ・パプレービン、書記であるヤクル(エリザル)・スーコフが交渉に引見した。カザン・ハン国側からは公で大使であるバラト・セイト、ハン国の官吏であるソベタ・アブッドゥーラ、賢者ブーゼクが交渉を行った。条約はモスクワでは1507年9月8日に、カザンでは同年の12月23日に調印された。条約に従って「イヴァン3世の時のように昔通り友好的な平和」の現状が回復してロシア人捕虜が帰還した。
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