ハイデルベルク大学時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:36 UTC 版)
シベリア経由で渡欧し、バーゼル州の大学入学資格試験に合格してハイデルベルク大学に入学。第一希望の専修は「哲学科美術史」であった。深田からリッケルトへの紹介状を持っていたものの高齢だったこともあり、カール・ヤスパースの講義を聴きくがここでは語学の障害が大きかったため、主に美術史の教授アウグスト・グリーゼバッハの講義を聴きゴシック建築に興味を持ち、学んだ。1931年の2月に、義兄近藤がパリで個展を開くために渡仏し、白井はこの手伝いをするためにパリに赴く。
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