絵葉書
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絵葉書(えはがき)は裏面に絵や写真を印刷した郵便はがきである。ポストカードとも呼ばれる。
歴史
日本
日本の絵葉書の歴史は1900年(明治33年)に私製はがきの使用が認可されたことに始まる。ただし、それ以前から「絵葉書」は存在しており、1952年(昭和27年)頃からは官製はがきの裏面の一部に景色や風俗画を印刷して外国人向けに販売したものや、年賀郵便向けに絵を印刷したものが発行されていた[1]。私製絵葉書としては認可後すぐに雑誌「今生少年」の付録として作られた「二少年しゃぼん玉を吹く図」が日本の第一号とされる[2][3]。その後、日露戦争の記念絵葉書がブームとなったことで大衆に浸透することとなった[4]。逓信省から「第1回戦役記念絵葉書」が発売された際には購入希望者が郵便局に殺到して負傷者が続出し、神田万世橋郵便局では死者が出ている[5]。しかし、関東大震災や太平洋戦争によって徐々に絵葉書収集は下火となった[5]。
認可当初は表面に住所氏名のみの記載しか認められておらず、通信文を記入した場合罰金が発生していたが[5]、1907年(明治40年)からは下部3分の1以内に通信文の記載が認められ、1918年(大正7年)には2分の1に拡大された[4]。
脚注
- ^ 『絵画絵葉書類品附属品美術印刷製品仕入大観』大日本絵葉書月報社、大正14。doi:10.11501/911259。
- ^ “年賀状の起源から発展に至るまでのエピソード3/4”. www.fuyuki-nenga.com. 2025年4月19日閲覧。
- ^ “酒田市立資料館 第194回企画展「絵はがきに写る近代の酒田」”. 酒田市. 2025年4月19日閲覧。
- ^ a b “絵葉書の歴史 | 絵葉書資料館”. 2025年4月19日閲覧。
- ^ a b c “鍛冶丸 第6号”. 高岡市. 2025年4月20日閲覧。
絵はがき
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 22:59 UTC 版)
京都大学東南アジア地域研究研究所を拠点とする産学官合同の「北東アジア・データベース研究会」は、国内外の研究者、教育者、アーキビスト、コレクターなどが共通して非文献資料を利用するための基盤づくりが必要であるとして、視覚的なデータベースを構築することを目的に活動している。同研究会では、2005年2月に「戦前期東アジア絵はがきデータベース」を公開している。 絵はがきへの主要なアプローチとして貴志俊彦は、 具現性。文字で追えない図像資料の重要性を唱える立場。建築や都市研究、美術史ならびに考現学の方法 絵はがきをプロパガンダと見なす立場。メディア史研究や政治学が強調する方法 印刷技術とかかわらせて解明する技術史的立場 絵はがきの虚構性を警告するもの。情報資料学や文献学の手法 の4つを指摘している。
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