絵はがきの収集
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1900年(明治33年)に逓信省令で私製はがきの製作が認められて以来、日本では全国の名所や都市景観、美人画、催事、年賀状などの絵はがきの製作や販売が盛んに行われた。1902年(明治35年)には万国郵便連合加盟25周年絵はがき、次いで日露戦役記念の絵はがきが登場し、空前の絵はがきブームが起きていた。 岡田は1903年の独立後から、以前から趣味としていた絵はがきの収集を始め、その数は3万枚以上にも昇っていた。その対象は郷土である北海道の史跡をはじめ、建造物、都市の景観、自然、風物など、あらゆる分野におよんでおり、友人たちが声をそろえて岡田を一流の収集家と呼んでいた。岡田にとって絵はがきの収集は、当時のブームに乗じた一時的な趣味でも、単なる趣味や娯楽でもなく、短文学の通信と研究を目指すものであった。岡田の少年時代に函館の富岡町で展覧会が開催されたときには、最も多い出品者が岡田であった。 1905年(明治38年)、岡田は絵はがき愛好者の団体として「函館絵葉雅喜倶楽部」を結成した。絵はがきのブームに伴い、日本全国各地には絵はがき同好会が結成されて展覧会や交換会が盛んに行われており、北海道内にも1905年から翌1906年(明治39年)にかけて6団体が結成されていたが、そのうち最も早くに結成されたのが岡田の函館絵葉雅喜倶楽部である。 結成同年には岡田の発案のもと、同団体主催による「絵葉雅喜大会」が開催された。このとき記念絵はがきの印刷を担当した業者の1人は、その盛況ぶりを以下のように語っている。 その頃公会堂で絵葉書展覧会が催されたことを知っている人は現在幾人もいないだろうと思う。これは岡田さんの発案であったが……全国各地からいろいろな絵はがきが収集され、三日間に渉るこの展覧会が……絵はがきの存在価値を高めた……。この事が発表さるるや函館のみでなく近郊からの参観者は意外に多く、当時としては一大センセーションを捲き起こした。 — 坂本 1998, pp. 42–43より引用。 函館市立図書館設立後、岡田は間宮不二雄設立による青年図書館員連盟に個人会員として加盟。同団体が1932年(昭和7年)に発行した『図書館学及書誌学関係文献合同目録』には、2千点以上に及ぶ図書や刊行物が収録されている中、末尾には「絵ハガキ」の項が設けられ、約70種の絵はがきが収録されている。うち最も多い物は間宮の擁する間宮文庫のもので、次いで函館市立図書館のものであり、ともにこの目録に収録されている絵はがきの約半数を占めている。
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