絵はがきの収集とは? わかりやすく解説

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絵はがきの収集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:19 UTC 版)

岡田健蔵」の記事における「絵はがきの収集」の解説

1900年明治33年)に逓信省令で私製はがきの製作が認められ以来日本では全国名所都市景観美人画催事年賀状などの絵はがきの製作や販売盛んに行われた1902年明治35年)には万国郵便連合加盟25周年絵はがき次いで日露戦役記念絵はがき登場し空前絵はがきブーム起きていた。 岡田1903年独立後から、以前から趣味としていた絵はがきの収集を始め、その数は3万枚以上にも昇っていた。その対象郷土である北海道史跡をはじめ、建造物都市の景観、自然、風物など、あらゆる分野におよんでおり、友人たちが声をそろえて岡田一流収集家呼んでいた。岡田にとって絵はがきの収集は、当時ブーム乗じた一時的な趣味でも、単なる趣味娯楽でもなく、短文学の通信研究目指すものであった岡田少年時代函館富岡町展覧会開催されときには、最も多い出品者岡田であった1905年明治38年)、岡田絵はがき愛好者団体として「函館雅喜倶楽部」を結成した絵はがきブームに伴い日本全国各地には絵はがき同好会結成され展覧会交換会が盛んに行われており、北海道内にも1905年から翌1906年明治39年)にかけて6団体結成されていたが、そのうち最も早く結成されたのが岡田函館雅喜倶楽部である。 結成同年には岡田発案のもと、同団体主催による「絵雅喜大会」が開催された。このとき記念絵はがき印刷担当した業者1人は、その盛況ぶりを以下のように語っている。 その頃公会堂絵葉書展覧会催されたことを知っている人は現在幾人もいないだろうと思う。これは岡田さん発案であったが……全国各地からいろいろな絵はがき収集され三日間に渉るこの展覧会が……絵はがき存在価値高めた……。この事が発表さるるや函館のみでなく近郊からの参観者は意外に多く当時としては一大センセーション捲き起こした。 — 坂本 1998, pp. 4243より引用函館市図書館設立後岡田間宮不二雄設立による青年図書館員連盟個人会員として加盟。同団体1932年昭和7年)に発行した図書館学書誌学関係文献合同目録』には、2千点以上に及ぶ図書刊行物収録されている中、末尾には「絵ハガキ」の項が設けられ、約70種の絵はがき収録されている。うち最も多い物は間宮擁する間宮文庫のもので、次いで函館市図書館のものであり、ともにこの目録収録されている絵はがきの約半数占めている。

※この「絵はがきの収集」の解説は、「岡田健蔵」の解説の一部です。
「絵はがきの収集」を含む「岡田健蔵」の記事については、「岡田健蔵」の概要を参照ください。

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