謎の叙情版画家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 10:05 UTC 版)
大正後期から昭和初期には、かいちの絵はがきや絵封筒は当時の若い女性から評判を得る。京都京極三条の「さくら井屋」を版元に数多くの作品が売り出されたが、模倣品が出回るほどの人気を集めた。さらに1928年(昭和3年)発表の谷崎潤一郎の小説『卍』の文中には、かいちの絵封筒「桜らんぼ」「トランプ」の2作品に関する記述がある。 しかし、昭和初期以降にはかいちの存在は少しずつ忘れ去られ、一部のアンティークのファンや絵はがきの収集家などの間でだけ認知されるようになった。 1992年に「フィリ ップ・バロス・コレクション 絵葉書芸術の愉しみ」展、2004年に「ボストン美術館所蔵 ローダー・コレクション 美しき日本の絵はがき」展が開催されると、そこに含まれた小林かいちの作品が脚光を浴びる。以後立て続けに作品の紹介が始まるが、かいちの性別・生没年・正確な作品点数・私生活などは不明で「謎の叙情版画家」「謎の画家」と称される。 2008年2月に遺族(かいちの次男)が名乗り出て、経歴が明らかになる。 かいちの次男は「小林かいち」と父である「小林嘉一郎」が同一人物であるとは知らず、かいちの展覧会が京都精華大学で開かれているのを、知人を通じて知り、同姓同名の「小林嘉一」の名で仕事をしていた父の遺品を調べた結果、父が制作した木版画のサインが、かいちの絵封筒に書かれているサインと一致した。次男は「父と一緒に遊んだ記憶はほとんどないが、夜中に、机に向かって御所車などの模様を描いていたのを覚えている。あの父が謎の画家のかいちだったとは本当に驚きました」と話している 。 『小林かいちの魅力――京都アール・デコの発見』(清流出版)2009年7月刊で、こうした「小林かいち再発見」に至る様々な動きが詳細に紹介された。また、遺族発見前にいち早く刊行されていた国書刊行会発行の『小林かいちの世界―まぼろしの京都アール・デコ』は、かいちの代表作品である絵葉書全点がカラーで収録されていることで高く評価されているものの、発行が早かったため、作品タイトルの特定などに多くの間違いが指摘されていたが、2009年12月に、それらをすべて校訂した再版が発行された。
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