ブダ‐じょう〔‐ジヤウ〕【ブダ城】
読み方:ぶだじょう
《Budai Vár》ハンガリーの首都ブダペストにある城。13世紀半ば、ハンガリー王ベーラ4世が居城を築き、14世紀にラヨシュ1世によりゴシック様式の王宮が建造された。17世紀から18世紀にかけて、ハプスブルク家支配の下で増改築され、バロック様式が加わった。19世半ばの大火災と第一次・第二次大戦で大きな被害を受けたが、1950年代に修復。ハンガリー国立美術館、プダペスト歴史博物館、軍事歴史博物館などがある。1987年「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録。2002年に「ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペスト」として拡張登録された。ブダ王宮。
ブダ城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 03:50 UTC 版)
座標: 北緯47度29分46秒 東経19度02分23秒 / 北緯47.49611度 東経19.03972度
- 1 ブダ城とは
- 2 ブダ城の概要
ブダ城
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「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の記事における「ブダ城」の解説
詳細は「ブダ城」を参照 世界遺産登録名の「ブダ城地区」は、ドナウ川右岸の「王宮の丘」と呼ばれる地域のことである。 ブダ城の王宮地区の基底には古代ローマ時代の遺跡も残るが、ブダ城の起源は13世紀のハンガリー王ベーラ4世(在位 1235年 - 1270年)の治世に遡る。1241年から1242年にかけて相次いでモンゴル軍の侵攻を受けたことを踏まえ、ベーラ4世は防衛しやすさを考慮してブダの丘に砦を築いたのである。1242年に築かれたこの砦は、居住用の塔を備えていたものの、つくりとしては簡素なものであった。これが城壁を備えたゴシック様式の王宮に改築されたのは、14世紀に神聖ローマ帝国からハンガリー王に迎えられたジギスムントの時代のことである。 さらに15世紀後半にはマーチャーシュ1世のもと、イタリアから招いた彫刻家らによって、ルネサンス様式に改築された。宮廷付きの彫刻師に任命されていたジョヴァンニ・ダルマータが手がけた内装や彫像の一部は現存している。しかし、オスマン帝国による征服(1541年)の後にブダ城は火薬庫に転用され、1578年頃に爆発事故が起きたため、当時の建造物そのものはほとんどが失われた。 現在の王宮の元はオスマン帝国撤退後、17世紀になって建て直されたものである。その後、18世紀にはマリア・テレジアの命で大改築が行なわれ、建築家ジャン・ニコラ・ジャドウのもとで1770年に完成した。このときの部屋数は203室である。 この建物は1848年革命の際に破壊され、19世紀後半から1904年にかけてネオ・バロック様式で再建された。しかし、その建物も第二次世界大戦やハンガリー動乱で大きく損なわれ、1980年代以降にネオ・バロック様式で復元されて現在の姿になった。 城内にはハンガリー国立美術館、国立セーチェーニ図書館(ハンガリーの国立図書館)、ブダペスト歴史博物館などが入っている。 ブダ城の地下には自然の洞窟が元になった長大な迷宮が広がり、カタコンベなども残っており、第二次世界大戦中にはドイツ兵の隠れ場所にも使われた。王宮の丘の地下には環境保護区になっている洞窟もある。 ブダ城 ブダ城内
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