城趾とツーリズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
「ハイデルベルク城」の記事における「城趾とツーリズム」の解説
1465年のハイデルベルクに関する最も古い記述にはすでに、この街は「外国からの訪問者が多い」と記載されている。とはいえ、本来の意味でのこの都市の観光は19世紀初頭に始まった。グライムベルク伯は、この城を描いたスケッチを広く流布させた。これは事実上、絵はがきの先駆けとなった。同じ頃、城ではすでにお土産用のカップも販売された。さらに観光業にとって決定的な一押しとなったのが1840年にハイデルベルクが鉄道網に結ばれたことである。 マーク・トウェインは1878年に著書『ヨーロッパ放浪記』でハイデルベルク城について記述している。 20世紀にアメリカ人はハイデルベルク伝説を創作して世界中に広めた。その結果、日本人もヨーロッパ旅行の際にハイデルベルク城に立ち寄るようになった。 21世紀の初め、ハイデルベルクには年間100万人を超える訪問客があり、約90万人が宿泊する。外国からの観光客の多くはアメリカ人か日本人である。ハイデルベルク大学地理研究所のアンケート調査によれば最も評判が良いのは城の展望テラスである。 来訪者センターの新築のために300万ユーロが zweiten Konjunkturpaket des Bundes から提供された。
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