城趾・居館跡とは? わかりやすく解説

城趾・居館跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:31 UTC 版)

三河牧野氏」の記事における「城趾・居館跡」の解説

牧野氏築城した城として、宝飯郡内に牧野城牛久保城正岡城、瀬木城などがある。また渥美郡には今橋城(のちの吉田城)を築城した。 他に旧渥美郡内(現・豊橋市域)の和田地区和田城馬越地区馬越城があり、いずれも牧野氏由来のあるものと伝えられるが、事実関係明らかにされていない伝承事実なら牧野古白今橋築城以前文明年間あるいはそれ以前渥美郡内に牧野氏根拠地があったことになる。 宝飯郡牧野村貝津古名讃岐貝津、現・豊川市牧野町)に近年まで牧野氏居館讃岐屋敷があったが伊勢湾台風壊れて荒れ果て、現在は豊川市寄付され公園となっている(門のみ残っている)。讃岐屋敷の呼び名牧野氏讃岐国より来住したことによるという。館の主は牧野古白時の長男・能成の子の田六宗成(古白六男とも)の末裔伝える。 宝飯郡市田村豊川市市田町)に牧野四郎左衛門館跡があった。近隣久保神社永正14年(1517)の古棟札があり、それには他の牧野氏一族と共に四郎左衛門名がある宝飯郡三橋村郷中豊川市三谷原町)に牧野五郎館跡飯尾因幡古城跡ともいう)があった。三橋城の名がある。 八名郡賀茂照山豊橋市賀茂町長池)に照山城があった。城趾にある加納寺に残る伝承によれば初め質素な屋敷であったが、永禄末から天正初期には水堀備えるなど本格的な城郭となったとされ、初代城主牧野筑意伝える。牧野筑意長岡藩牧野弥次兵衛家及び紀州徳川家家臣牧野氏始祖である。

※この「城趾・居館跡」の解説は、「三河牧野氏」の解説の一部です。
「城趾・居館跡」を含む「三河牧野氏」の記事については、「三河牧野氏」の概要を参照ください。

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