城跡
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/26 02:31 UTC 版)
城跡(しろあと、じょうせき)とは、その土地に城があった跡のこと。城址、城趾(しろあと、じょうし)とも呼ばれる。
日本の城跡
日本では、文化財等としての指定を受ける事例が見られる(例 : 八王子城跡[1])。現存・復元・復興・模擬の別を問わず、天守が存在する城であっても「城跡」と呼ばれる(例:姫路城跡[2]、大坂城跡[3])。
地図記号では右の記号を使う。これは築城の際の縄張の形を表したものである。
欧州の城跡
欧州では、フランスのフージェール城跡のように歴史的建造物となっているものがある[4]。
城跡が題材の作品
脚注
外部リンク
- 『日本の城』 - 科学映像館Webサイトより《→YouTube版》
- 兵どもが夢の跡~城郭探訪記~
城趾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/13 09:44 UTC 版)
「ポレのエーファーシュタイン城」(ポレ城とも呼ばれる)の城趾は、ポレ背後の高さ約 25 m の円錐形の山頂に建つ印象深い城趾で、すぐ東の麓をヴェーザー川蛇行部が流れている(北緯51度53分 東経09度24分)。この城は1285年に「Eversteiner Burg」として文献に記録されており、エーファーシュタイン伯の主城として用いられている。三十年戦争中、1641年にスウェーデン軍によって破壊され、城趾だけが遺された。 1984年に大規模な修復が行われた城は現在、ヴェーザー渓谷の顕著な城趾である。城趾は、事実上環状壁のみのフォアブルク(前砦)と約 20 m の高の登ることができる円筒形のベルクフリート(主塔)ともつハウプトブルク(本砦)からなる。ここには環状壁の跡だけでなく、例えば楼門や居館の壁跡など、多くの建物の痕跡が遺っている。ポレ城の城趾は見学することができるよう整備されている。城の広場では、年に何度も文化イベントが開催されている。2007年から2009年9月まで、発掘作業がなされていた。 ポレ城の主塔 ポレ城。手前はヴェーザー川と渡し船 ポレ城から見下ろすヴェーザー川蛇行部 ポレ城の主塔から見下ろすポレの町並み
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