牧野氏とは? わかりやすく解説

牧野氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 02:04 UTC 版)

牧野氏(まきのし)は、日本氏族譜代大名諸侯華族に列した家系ほか、さまざまな系統がある。

  1. 吾妻鏡』に見える牧野氏 - 牧野太郎兵尉とその一族。
  2. 仙台藩士牧野氏 - 源姓仙台藩伊達氏宿老陸奥国守護代となった牧野久仲中野宗時の子)が有名。惣領家は元亀慶安と二度の改易を経るも仙台藩士として存続した(惣領家500石、竹谷牧野家435石)。仙台藩には久仲系牧野氏の他にも、伊達忠宗正室孝勝院に随って仙台藩に仕えた牧野与右衛門(源姓)の家系などがある。
  3. 棚倉藩士牧野氏 - 陸奥国棚倉藩小笠原家重臣。
  4. 信濃牧野氏 - 信濃国発祥の源姓牧野氏。
  5. 小諸藩士牧野氏 - 信濃国小諸藩牧野家重臣(城代家老・上席家老)の牧野氏。上席家老牧野康那。斬刑に処された城代家老牧野八郎左衛門成道など。
  6. 田中藩士牧野氏 - 駿河国田中藩本多家重臣。
  7. 三河牧野氏 - 鎌倉時代宝飯郡牧野村(豊川市牧野町)に土着し室町戦国時代宝飯郡から、八名郡渥美郡の一部に進出した牧野氏。牛久保城主・吉田城(今橋城)主など。
  8. 近世大名牧野氏 - 前記の三河国牧野氏の一系統が、徳川家康に臣従して、譜代大名・幕臣(旗本)となったもの。譜代大名として、越後国長岡藩主、信濃国小諸藩主、常陸国笠間藩主、越後国三根山藩主、丹後国田辺藩主の牧野氏がある。
  9. 越後長岡藩士牧野氏 - 越後国長岡藩家老の牧野氏。本姓山本氏・本姓松井氏がある。
  10. 越前牧野氏 - 越前国藤原氏利仁流斎藤氏族。加賀斎藤氏・弘岡斎藤氏とも呼ばれる。堀氏富樫氏坪内氏(富樫氏の系統。尾張富樫氏とも)林氏・豊田氏(林氏の系統)等々が分岐した。
  11. 尾張牧野氏 - 尾張国愛知郡牧野(名古屋市中村区牧野)を発祥とする牧野氏は尾張稲麿を祖とする大宮司家支流の牧野氏で成海神社神官を世襲。本姓は尾張氏。ほかに、尾張国知多郡大野村に移住した牧野氏もある。三河国渥美郡吉田城(今橋城、豊橋市)城主であった牧野氏の子孫が吉田城落城の際に落ち延びたもの。田口姓を称す。(詳細→ 牧野信成
  12. 紀伊牧野氏 - 紀伊国伊都郡官省符荘荘園)発祥の牧野氏。
  13. 紀州藩士牧野氏 - 徳川御三家の一つ紀州徳川家の家臣。三河国牛久保城主の牧野氏の同族異流。(参照 → 牧野筑意)。ほかに初代藩主徳川頼宣の時、改易・絶家した家老牧野長虎の牧野氏もある。長虎は牧野信成 (関宿藩主) の弟山成(たかしげ)の子孫で初代山成の時越前松平家から紀州徳川家に転属した。
  14. 田辺藩士牧野氏 - 丹後国田辺藩主牧野家重臣。
  15. マキノ家 - 幕末明治維新期の京都で娘義太夫師であった竹本弥奈太夫こと牧野彌奈の子孫で日本の映画草創期を切り開いた牧野省三とその一家。
  16. 大和国の源姓牧野氏 - 同国宇智郡牧野邑(現:奈良県五條市中之町)発祥の清和源氏宇野氏の族の牧野氏。真木野氏・槇野氏とも表記され、真木氏・槇氏にも共通するという。
  17. 芝村藩士牧野氏 - 織田家用人
  18. 美作牧野氏 - 美作国大庭郡湯本城主。
  19. 岡山藩士牧野氏 - 備前国岡山藩池田家重臣。岡山藩士牧野氏には異なる3系統があり1系統が重臣に列した。この家は尾張牧野氏(牧野信成)の末裔であり、牧野成憲はこの家系である。
  20. 肥後牧野氏 - 肥後国菊池氏西郷氏と同族。
  21. 薩摩国の牧野氏 - 大久保氏の縁族で鹿児島出身の重臣牧野伸顕の一族。牧野伸顕の実父は大久保利通であるが親族(利通の父・利世の兄・利建の娘・美和子の夫牧野惟武が牧野惟教の父)の牧野惟教(喜平次・戊辰戦争で戦死)の養子となって牧野に改姓した。

牧野氏(牧野八郎左衛門等の家系)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/15 19:53 UTC 版)

小諸藩牧野氏の家臣団」の記事における「牧野氏(牧野八郎左衛門等の家系)」の解説

与板立藩以来家老家柄室町時代には牧野平四郎として文献登場当家と、藩主家長岡小諸)との系図的な繋がりは、諸説があるが、同一先祖求めるならば室町戦国期以前になるため、藩主牧野氏とは、異流か同族異流になるに過ぎない長岡藩主・「牧野家御系図」と、牧野平四郎家の家譜は、大きく異なる。最大相違点は京合戦応仁の乱)で、一色氏与力のため参陣して疲弊した伝説上の人物牧野平三郎成興に先祖求めるのか、それとも当家主家筋に当たる牛久保城主牧野氏に対して徳川松平のために一時的に反旗を翻した実在性確認できる正岡城主牧野成敏求めるかである。 牧野平三郎牛久保牧野氏の一門衆であった根拠として享禄2年1529年)、宝飯郡伊奈住人牧野平三郎某が牛窪来て成勝に属す(『御家譜』長岡市中央図書館所蔵)とあるが、このときはまだ平四郎記述はない。つまりこの牧野氏は、伊奈本多氏拠点があった宝飯郡伊奈から、牛久保来て一門衆加えられたことになる。徳川家康枢機預かった本多正信と、伊奈城本多忠次は、忠次から数えて8代前の先祖である本多助正を共通の祖とする説もあるが、伊奈本多氏と、正信家系とは別家系(あるいは同族異流)の出自である(近江国膳所藩参照)。 牛窪来てとは、伊奈本多氏から追放されて来たのか、出奔してきたものか、あるいは敗れて退散してきたものかなど、『御家譜』には明らかにされておらず、牛窪に来た動機理由不明である。 『宗長手記』によると大永7年1527年7月に、伊奈牧野平三郎方に宿泊したとの記事があるほか、天文13年1544年)に連歌師谷宗牧東三河訪れた際に牧野平三郎平四郎兄弟牛久保より出迎えた記事が『牛久保密談記』に見え一方で牧野平四郎家の家譜には、平三郎という記述見られず、田三郎とある。 牧野平四郎家譜からは、成興、忠高、氏勝の記載はみられず牧野平四郎家譜は、正岡城主牧野成敏の4男・新九郎氏成を祖としていることが特徴的であり、牧野平四郎実兄牧野三郎であるとしている。 天文年間頃には、実在性が確実の牧野平四郎は、名を政成と云い直系子孫は、牛久保城であった牧野氏に随従して、大胡長岡与板移り4代目牧野平四郎政成(4代前と同名)が、牧野八郎左衛門初代)通称改めたのである出典長野県小諸市役所助役小諸藩士族会元会長 牧野一郎所蔵文書)・(当家遠祖詳細三河牧野氏参照)。なお牧野平三郎家の江戸時代行方については未見である。 元和年間家臣団名簿大胡ヨリ長峰御引越御人数帳」などにも、牧野平四郎の名が見えるが、牧野武成が名を康成と改め長岡支藩として与板分家立藩した当初は、牧野八郎左衛門家は、家臣中次席の家柄とされたが、倉地氏が本藩の長岡帰参してからは、家臣中筆頭の家柄とされた。 牧野八郎左衛門初代)は、長男廃し、2男を他家養子出し、3男に家督相続させ、4男を分家として分出させた。 与板立藩当初ごろに4男牧野庄兵衛正長(50石)を分家として分出したが、その後成立したとみられる牧野康道在職明暦4年1658年)〜元禄2年1689年))分限帳牧野八郎左衛門230石、牧野庄兵衛100と見えるこの分家々系は段々と立身して、家臣筆頭にまで累進した。 牧野八郎左衛門政成は、小諸移封時には若輩のため用人加判地位にあったが、宝永元年1704年)に家老職となった家臣筆頭役となった時期不明である。享保6年1721年6月病気致仕となり、嫡子牧野金之助種成が家督相続若輩のためか200石に減石されて側用人勤めていたが、跡取りがないまま数え20歳死亡した小諸家臣山本右衛門清継の庶子で、山本右衛門清玄実弟であった牧野左衛門成素は、牧野金之助種成より年長であったが、その死後末期養子として当家入り側用人(160石)となった享保17年1732年用人加判となり、後に家老職には登用され元文2年1737年64歳死亡した享保17年1732年)の昇進にあたって家禄改訂記録はない。小諸家臣山本氏から、牧野氏(牧野八郎左衛門家)に養子入りは、家臣筆頭格家系断絶から救うために行われたのであるが、この一件により牧野八郎左衛門家は、藩内での地位大きく下げた小諸家臣山本氏は、当時奏者格の家柄であり牧野八郎左衛門家とは、近縁ではなく家柄格式にやや差があるが、与板立藩時に家老職であった牧野八郎左衛門政成(=初代八郎左衛門)2男・清成山本氏養子入りしていたので、男系血縁にはなる。 次の牧野成載(異に載成)は、丹後国田邊藩主牧野氏の重臣大貫氏の長男が牧野八郎左衛門家(牧野左衛門成素)の跡式子細あって、相続したともいわれる寛政期に、浅間山噴火がおきて、凶作悩まされたが、このときの浅間山観察した小諸藩城代家老牧野八郎左衛門成載(異に載成)の日記は、史料学価値が高いとされている。 牧野八郎衛星門成載(異に載成)は寛政年間に、勝手方家老となっていたが、独断多額借金をして、藩財政打撃与えた。この事績責められ失脚し寛政6年1796年)、退役隠居閉門命じられ340石から、150石に減知された。惣領牧野須磨之丞成寿に家督認められたが、成寿も連座して押し込み処分受けた。この事件家老家柄取りあげられわけではないが、後に許され牧野須磨之丞成寿は、分家牧野兵衛成章の娘を内室(妻)に迎え家老職となった享和3年1803年用人加判から、家老職見習い出世したときに、持高20加増され、計170となったが、この加増は1代限りとなった。 成載(異に載成)の名跡上、孫に当たる牧野成澄は、実は当時牧野八郎左衛門家とは、8親等以上と推察される遠縁の本藩長岡家臣、新井氏庶子にあたる人物であった新井氏庶子であった牧野成寿が急ぎ養子入りして、持高150石で家督相続認められた。 牧野成澄は、原則固定世襲とされる持高2度わたって加増され、9代藩主康哉の治世が終わるまでに持高が計200石となり、この持高世襲認められた。城代家老にもなり籾米300俵(持高200石+家老手当100石)を支給され笠間藩出身の9代藩主治世になっても、藩主からの寵や、信任を失わなかった一方で、9代藩主康哉の改革で、結果的に分家筋の牧野庄兵衛家の家系(すなわち馬場町牧野隼人成聖家系)より格下定まり家臣筆頭格連綿筋目家柄を、ついに回復することはできなかった。 嘉永5年連枝にあたる牧野家が、改易取り潰しとなり縁坐謹慎懲戒処分受けた元治元年1864年)に、水戸浪士通行事件天狗党の乱)で、小諸藩では牧野八郎左衛門成澄を総大将、この補佐加判太田忠太一道添えて出陣したが、天狗党遭遇せず、領内通行許して小諸藩兵は帰城した。この失敗責め2人負って翌年牧野八郎左衛門成澄は、家老職取りあげ・隠居となったが、減石処分とはならなかった。 父の家督相続した牧野八郎左衛門成道は、このときすでに家老に次ぐ用人加判にあった役職留め置かれて、しばらく家老職となることができなかった。やがて家老職となった牧野八郎左衛門成道200石・100取り)は、一味集めて牧野隼人成聖加藤六郎兵衛成美村井藤左衛門盛徳成徳誤記している2次史料あり)の取り計らい不審な行為をあげて、藩主奏上して、藩政刷新と、懲戒処分求めた。そして牧野隼人成聖失脚させたのちに、牧野八郎左衛門成道は、自ら家臣筆頭就任したとみられるが、本藩である長岡藩調停で、取り消された。このとき牧野八郎左衛門成道と、牧野隼人成聖は、名跡上は本末関係にあり、近縁者である一方血縁上は近縁者でなくなっているだけでなく、分家牧野隼人成聖のほうが、役職上の格式、及び連綿する家の格式双方において、牧野八郎左衛門成道より格上となっていた。 時代下って明治元年1868年11月9日小諸騒動のため、朝敵となっていた本藩長岡藩脱走兵を匿ったことを口実に、城代家老牧野八郎左衛門成道は、他の3名(真木高崎・高と共に斬首刑処せられ、家族小諸城下から追放され柏木小山又四郎方において軟禁状態におかれた。京に遊学中の牧野次郎は、帰国命じられ一人だけ在所当家屋敷監禁された。加藤六郎兵衛成美牧野馬成賢等が失脚後家族呼び戻され家名再興許され牧野次郎成行異に次郎)が名跡再興し席次は元席に戻った牧野次郎成行正室には、牧野隼人成聖女子輿入れして、3度名実ともに近縁となり、両家和睦がなった。もっとも牧野隼人成聖には、牧野八郎左衛門成道牧野次郎成行親子と、初めから最後まで敵対しようとしたり、家老職昇進不当に止めたり失脚画策し事実はなかったと解説する記事存在する。また牧野次郎成行は、父と一味であった太田道一推挙により、明治期小諸銀行取締役となった

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