牧野氏の出自諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:31 UTC 版)
三河牧野氏の三河定着以前の出自については、諸説がある。 三河発祥の牧野氏は、平安時代の四国の阿波・讃岐国の豪族田口氏の子孫が四国から三河へ渡来したという説と、これを否定する説がある。また、四国から三河への渡来したとする説についても三河国渡来の時期について、牧野氏先祖が、承久の乱の時に鎌倉幕府(北条執権政権)の軍に参陣し、鎌倉方に対する戦功の恩賞として三河国宝飯郡牧野村の地頭に補せられ、その地名を名字としたという鎌倉時代(及びそれ以前)渡来説(→牧野村移住と地頭補任)と、室町時代の応永年間に阿波・讃岐の豪族であった田口氏の一族が三河国に渡来、同郡の牧野村に牧野城を築城してその地の領主となったという室町時代渡来説(→田口成方・成富父子の移住)がある。また、渡来した人物についても複数の伝承があるが、客観比較が可能な史料が乏しいために明確な見解の統一はなされていない。
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