田口成方・成富父子の移住
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「三河牧野氏」の記事における「田口成方・成富父子の移住」の解説
前掲寛政重修諸家譜巻652の田口氏流牧野氏の伝には、田口成清の代まで讃岐国に住し田口成富が応永年中(1394年-1428年)将軍足利義持の命により三河国宝飯郡中條郷牧野村に来住したとする説。なお同じ寛政重修諸家譜の巻367(丹後田辺藩牧野氏の譜)では、成富は細川氏に従って三河国に移り宝飯郡牧野村に住したとする。 また、長岡藩主牧野家の『牧野家系図(本国三河・田口朝臣姓)』(前掲)の記述によれば、応永年間に讃岐国より田口成方・成富(成留)父子が舟にて渥美郡牟呂津に着船、同地の牟呂八幡宮に寄宿したという。成富の系はその子成時(古白)、孫の信成と続く後の今橋城主の系(田蔵系)となる。 なお、寛政譜では、田口氏の流れが牧野氏であるとしているが、吉田城内神明社(現在の安久美神戸神明社)の棟札には、明応6年11月17日、平朝臣古白、(愛知県史: 中世 1-3)という記述が見え、平氏を自称していた。
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