牧野氏出自の関係人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:31 UTC 版)
牧野成富 :応永4年(1397年)、勝定院(足利義持)の命により讃岐国より三河国にまねかれ同国宝飯郡牧野村に牧野城を構えたとされる人物。渡来当初は田内左衛門尉と称したが、支配地牧野村から牧野を名字としたという。(讃岐より渡来は父親とされる成方の代とする説がある)。実名は成留とも書く。のち入道して、春興と号した。延徳2年(1490年)3月今川家に与して討死と云う。子に牧野成時がある。 牧野成時 :成富の子。牧野氏の中興の祖。入道名の牧野古白の方が著名(詳細→牧野古白を参照)。菩提寺は豊橋市新吉町の龍拈寺。 桜間助成遠 :応永年間、讃岐国より三河国渥美郡牟呂津に着船という。牧野氏先祖と伝える。文正元年(1466年)丙戌4月22日没、墓は豊川市牧野町柳貝津にあり。法名・福昌院殿柏樹明全大居士。牧野氏先祖が創建と伝える法名中の院号と同名の禅寺・福昌院があったという。 和田野重成 :民部大輔、紀姓。子の和田野左衛門則成と共に讃岐国より三河国に渡来、牧野村に至り住すという。田口成清の子という。豊橋市和田地区にある和田城趾に和田民部の居住が伝わる。 牧野成朝 :太郎、あるいは太郎兵衛尉。田口教良の長男。牧野村に住し、承久の乱に鎌倉方で参陣。 田口成教 :田口小太郎。田口教良の次男。阿波国桜間郷に残り、その子孫成業は讃岐に移住し、その孫成清の時まで四国に在住。この系から牧野古白の系を生じたという。 牧野成継 :平三郎。田口教良の三男。兄に同じく承久の乱に鎌倉方で参陣、恩賞で牧野村ほか数ヶ村の地頭となったという。
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