フリードリヒ1世 (プファルツ選帝侯)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 01:35 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動フリードリヒ1世 Friedrich I. |
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プファルツ選帝侯 | |
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在位 | 1451年 - 1476年 |
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出生 | 1425年8月1日![]() ![]() |
死去 | 1476年12月12日(51歳没)![]() ![]() |
埋葬 | ![]() ![]() |
配偶者 | クララ・トット |
子女 | フリードリヒ ルートヴィヒ |
家名 | プファルツ家 |
父親 | ルートヴィヒ3世 |
母親 | マティルデ・ディ・サヴォイア=ピエモンテ |
フリードリヒ1世(Friedrich I., 1425年8月1日 - 1476年12月12日)は、プファルツ選帝侯(在位:1451年 - 1476年)。
生涯
ルートヴィヒ3世と2番目の妃マティルデ(メヒティルト)の子。兄ルートヴィヒ4世の死後、甥フィリップの管財人としてプファルツ選帝侯領を治めた。これは不法な行為であったが、フリードリヒは有能な策士で、バイエルン公ルートヴィヒ9世と同盟しており、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世も追放できなかった。
1462年、バーデン辺境伯カール1世とヴュルテンベルク伯ウルリヒ5世と激突して勝利、領土を一部獲得した。
1476年、死去。
子女
1427年にバイエルン公ハインリヒ16世の娘エリーザベトと婚約したが、彼女は1445年にヴュルテンベルク伯ウルリヒ5世と結婚、婚約は解消された。1471年に長年の愛人クララ・トットと結婚したが、貴賎結婚のため、彼女との2人の息子に相続権は無かった。
- フリードリヒ(1461年 - 1474年)
- ルートヴィヒ(1463年 - 1524年) - レーヴェンシュタイン伯。レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム家の始祖で、子孫にポルトガル王ミゲル1世妃アーデルハイトがいる。
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