ライン両岸での発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 08:25 UTC 版)
インフレヘッジを必要としたヴァイマル共和政の1923年、ヘルマン博士(Hermann Zickert)がベルリンに投信的な組合をつくった(Deutsche Kapitalverein)。フランスでも投信の先祖が1925年から1929年にかけて4つできた。この5つは世界恐慌で全部なくなった。そこから先、投信は国際資本としてアメリカに定着した。しかしユーロカレンシーが1960年代に大きな国際市場をつくった。その背景として、戦後のドイツ・フランスもアメリカとあわせて知る意味がある。 国際社会が一斉に逆コースを向いた1949年のことである。ドイツのコメルツ銀行がバイエルン合同銀行などと共同出資で、投信を運用する管理会社を設立した(Allgemeine Deutsche Investment Gesellschaft mbH)。フランスでも国営の運用会社が誕生した(Société Nationale d'Investissement, cf. Maghrib)。その原資はドイツなどが所有したフランス企業株式であった。 1952年6月30日法により先のフランス国営運用会社に対する税制上の不利がなくなり、同年から民営の投信会社も成長した(Société d'investissement à capital fixe, SICAF)。1956年ドイツ銀行がシンジケートの他13行と合弁で管理会社を設立した(Deutsche Gesellshaft für Wertpapiersparen mbH)。翌1957年ドイツ政府がオープンエンドの契約型投資信託を制度化した(投資会社法)。フランスは1957年12月28日法でSICAFをSICAVに改組、同時にFCPも設立させた(Fond commun de placement)。同法のもと、1963年9月20日に規則が定められ、翌1964年にSICAV6社が営業をスターとした(オフショア金融センターで組成)。1968年ドイツで、保険会社や年金基金といった一部の機関投資家だけを対象として受益証券を発行する私募投資信託が設立された(スペシャルファンド)。事実上のFOFがドイツに初めておかれたのであった。1979年フランスのFCPがやっと開業した。フランスは1980年代に価格維持規定がないMMFを導入した。1988年12月23日法ではSICAFとFCPを合体させて、ECパスポートを付与した(Organisme de placement collectif en valeurs mobilières, OPCM)。再統一まもない1990年、ドイツは投資会社法を改正した。そして1994年にMMFを解禁した。1998年FOFやインデックスファンドを導入し、デリバティブの投資対象も拡大させた。 1988年のスペシャルファンド運用業者は、ドレスナー銀行の出資するDBIと、ドイツ銀行の出資するDEGEFが最大手、それぞれ160億マルクを運用していた。コメルツ銀行本体が第三位で73億ドルだった。スペシャルファンドの投資規制は緩い。銀行預金は総資産の5%まで。同一銘柄の株式・債券は5%まで。年金を除いて海外証券に関する規制は存在しない。1993年SICAV運用業者はシェアランキングでクレディ・アグリコルが首位(13.9%)、ソシエテ・ジェネラルが二位(9.6%)、ケス・デパーニュが三位(9.5%)、BNPとパリバはそれぞれ四位(8.7%)と八位(5.1%)であった。短期運用でもトップ・テンを既出の大銀行が占める点に変わりない。フランスも、ドイツのようにユニバーサル・バンク制なのである。
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