マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ (1849-1922)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 02:41 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ Marie von Sachsen-Weimar-Eisenach |
|
---|---|
![]() |
|
|
|
身位 | ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公女 |
出生 | 1849年1月20日![]() |
死去 | 1922年5月6日(73歳没) シレジア、トレブシェン |
配偶者 | ハインリヒ7世・ロイス・ツー・ケストリッツ |
子女 | ハインリヒ32世 ハインリヒ33世 ヨハンナ ゾフィー ハインリヒ35世 |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アレクサンダー |
母親 | ソフィー・ファン・オラニエ=ナッサウ |
マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ(ドイツ語: Marie von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1849年1月20日 - 1922年5月6日)は、ドイツのザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公家の大公女で、ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ7世の妻。
全名はマリー・アンナ・アレクサンドリーネ・ゾフィー・アウグステ・ヘレーネ(Marie Anna Alexandrine Sophie Auguste Helene)。
人物
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アレクサンダーとその妻でオランダ王ウィレム2世の娘であるソフィーの間の第2子、長女として生まれた。家族からは「ツィッタ(Zitta)」の愛称で呼ばれた。1876年2月6日にヴァイマルにおいて、ロイス=ケストリッツ家の侯子でプロイセンの外交官であるハインリヒ7世と結婚した。
1890年に伯父のオランダ王ウィレム3世が亡くなり、幼いウィルヘルミナ女王が即位すると、マリーは母や兄のザクセン大公世子カール・アウグストとともに、オランダ王位継承者の有力候補となった。マリーは作曲家のベルンハルト・シュターフェンハーゲンの最大の後援者であり、シュターフェンハーゲンの妻アグネスとは親しい友人同士だった。
子女
- ハインリヒ32世(1878年 - 1935年)
- ハインリヒ33世(1879年 - 1942年)
- ヨハンナ(1882年 - 1883年)
- ゾフィー(1884年 - 1968年) - 1909年、ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ34世と結婚
- ハインリヒ35世(1887年 - 1936年)
参考文献
- Wolfgang Stribrny: Bismarck und die deutsche Politik nach seiner Entlassung: (1890-1898), Schöningh, 1977, S. 122
- Paul Lehfeldt, Georg Voss: Grossherzogthum Sachsen-Weimar-Eisenach, G. Fischer, 1917
出典
- マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ_(1849-1922)のページへのリンク