マリー・フォン・ザクセン=アルテンブルク (1818-1907)
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マリー Marie |
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ザクセン=アルテンブルク家 | |
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マリー・フォン・ザクセン=アルテンブルク
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称号 | ハノーファー王妃 カンバーランド=テヴィオットデイル公爵夫人 |
全名 |
一覧参照
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出生 | 1818年4月14日 ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国、ヒルトブルクハウゼン |
死去 | 1907年1月9日(満88歳没)![]() |
埋葬 | ![]() |
配偶者 | ゲオルク5世 |
子女 |
一覧参照
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父親 | ヨーゼフ |
母親 | アマーリエ |
宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
マリー・フォン・ザクセン=アルテンブルク(ドイツ語: Marie von Sachsen-Altenburg, 1818年4月14日 - 1907年1月9日)は、ハノーファー王妃。
生涯
ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公世子ヨーゼフとヴュルテンベルク公女アマーリエ(ルートヴィヒの次女)の長女として、ヒルトブルクハウゼンで生まれた。1826年、ヨーゼフは領地を交換してザクセン=アルテンブルク公となったため、一家はアルテンブルクに転居した。
1843年2月、ハノーファー王太子ゲオルク(後のゲオルク5世)と結婚し、間に1男2女を儲けた。
- エルンスト・アウグスト(1845年 - 1923年)
- フリーデリケ(1848年 - 1926年)
- マリー(1849年 - 1904年)
1866年、普墺戦争でオーストリア側についたゲオルク5世は、敗戦後に領地をプロイセンに併合され、国王一家はオーストリアへ亡命した。マリーはそのままハノーファーへ帰ることはなく、グムンデン(現在のオーバーエスターライヒ州グムンデン郡)で死去した。

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