オーガスタ・オブ・サクス=ゴータとは? わかりやすく解説

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オーガスタ・オブ・サクス=ゴータ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/26 14:29 UTC 版)

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オーガスタ・オブ・サクス=ゴータ
Augusta of Saxe-Gotha
プリンセス・オブ・ウェールズ
出生 (1719-11-30) 1719年11月30日
神聖ローマ帝国
ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国ゴータ
死去 (1772-02-08) 1772年2月8日(52歳没)
グレートブリテン王国
イングランドロンドンカールトン・ハウス
埋葬 1772年2月15日
グレートブリテン王国
イングランドロンドンウェストミンスター大聖堂
配偶者 フレデリック・ルイスプリンス・オブ・ウェールズ
子女 一覧参照
父親 ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ2世
母親 マグダレーナ・アウグスタ
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オーガスタ・オブ・サクス=ゴータ英語: Augusta of Saxe-Gotha, 1719年11月30日 - 1772年2月8日)は、イギリスジョージ2世の長男フレデリック・ルイス王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)、ジョージ3世の母。

ドイツ名はアウグスタ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルクAugusta von Sachsen-Gotha-Altenburg)。父はザクセン=ゴータ=アルテンブルクフリードリヒ2世[1]、母はアンハルト=ツェルプスト侯カール・ヴィルヘルムの娘マグダレーナ・アウグスタ

生涯

1736年4月17日、オーガスタは16歳で英語もわからぬまま、セント・ジェームズ宮殿で結婚した。12歳年上のフレデリック・ルイスとの結婚生活は幸せなものだった。夫妻はハンプトン・コート宮殿に住んだ(夫が自分の両親と不仲であったためである)。しかし、長女オーガスタ・シャーロット出産の際、陣痛が始まってからオーガスタはセント・ジェームズ宮殿へ移されて出産した。夫の影響もあり、ジョージ2世やキャロライン王妃とは不仲だった。

1751年に夫が亡くなると、王位継承者の母であるオーガスタの発言権が強まり、政治に関わろうとする姿勢が露わになった。彼女はジョージ王子の専属教官であったビュート伯(のちの首相)と意見を同じにするようになり、2人は恋仲なのではないかという噂まで出た。さらに、ジョージ王子もいないのにビュート伯がオーガスタ妃と会っていたと中傷された。1760年のジョージ3世即位後も、オーガスタの増長は国民の非難の的だった。

1772年、52歳で喉頭癌により死去したが、葬儀に野次馬が大勢集まり、棺が墓地に運ばれる際にもオーガスタを侮辱する声が叫ばれたという。

子女

夫フレデリック・ルイスとの間に5男4女をもうけた。

脚注

  1. ^ ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ2世は、オーガスタの曾孫ヴィクトリア女王の王配ザクセン=コーブルク=ゴータ家出身のアルバート公の先祖でもある。ただし母方の先祖であり、オーガスタの兄フリードリヒ3世がアルバートの母ルイーゼの曽祖父という関係である。

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