キャロライン・オブ・ブランズウィックとは? わかりやすく解説

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キャロライン・オブ・ブランズウィック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 06:30 UTC 版)

キャロライン・アメリア・エリザベス・オブ・ブランズウィック=ウォルフェンビュッテル(Caroline Amelia Elizabeth of Brunswick-Wolfenbüttel, 1768年5月17日 - 1821年8月7日)は、イギリス国王ジョージ4世の王妃。プリンセス・オブ・ウェールズ(1775年 - 1820年)を経て王妃になった。父はハノーヴァー家とは同族のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール・ヴィルヘルム・フェルディナント、母はジョージ3世の姉オーガスタ。ジョージ4世とは従兄妹同士である。ドイツ語名はカロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(Caroline von Braunschweig-Wolfenbüttel)。愚王と呼ばれた夫とともに愚王妃と呼ばれたが[1]、離婚を望む王から数々の迫害を受けたことから王妃を擁護する「キャロライン王妃運動」が起こった[2]


  1. ^ 松川実「特許のフェア・ユースと著作物のフェア・ユース(24)」『青山法学論集』第58巻第2号、青山学院大学法学会、2016年9月、33-71頁、doi:10.34321/19520ISSN 0518-1208NAID 120005848794 
  2. ^ 古賀秀男「ャロライン王妃事件をどうとらえるか : イギリス王室と民衆・世論」『史窓』第58号、京都女子大学史学研究室、2001年2月、143-157頁、ISSN 03868931NAID 110000413840 
  3. ^ a b c 西山清「プリンス・リージェントの功罪とキャロライン裁判の顛末(1)」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要』第22巻、早稲田大学大学院教育学研究科、2012年3月、125-138頁、CRID 1050001202459787264ISSN 1340-2226NAID 40019229466 
  4. ^ a b 西山清「プリンス・リージェントの功罪とキャロライン裁判の顛末(2)」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要』第23巻、早稲田大学大学院教育学研究科、2013年3月、67-79頁、CRID 1050001202488471552ISSN 1340-2226NAID 120005300895 
  5. ^ British royal history: Queen be | The Economist
  6. ^ British Museum - A R-Y-L visit to a foreign capital or, the ambassador not at home


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