古賀秀男とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 古賀秀男の意味・解説 

古賀秀男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 04:51 UTC 版)

古賀秀男(こが ひでお、1933年2月22日[1]- 2022年4月22日[2])は、日本の西洋史学者。専門はイギリス史山口大学名誉教授。

人物・来歴

朝鮮京城生まれ。福岡県立三潴高等学校卒、1951年佐賀大学入学、1953年九州大学編入学、1955年同文学部史学科卒、1960年同大学院西洋史博士課程満期退学。1976年関西学院大学文学博士[3]

1960-1965年明治学園高等学校教諭、1965年九州大学助手、1968年山口大学教養部助教授、1975年教授。1996年定年退官、名誉教授、1997年京都女子大学教授。2006年定年退職[4]

著書

  • 『西洋近代史像 市民革命と産業革命』明玄書房, 1969
  • チャーティスト運動の研究』ミネルヴァ書房, 1975
  • 『チャーティスト運動 大衆政治運動の先駆』教育社歴史新書. 西洋史 1980.8
  • 『チャーティスト運動の構造』ミネルヴァ書房, 1994.5
  • キャロライン王妃事件 〈虐げられたイギリス王妃〉の生涯をとらえ直す』人文書院, 2006.3
共編

翻訳

  • ジョージ=リューデ『歴史における群衆 英仏民衆運動史1730~1848』志垣嘉夫、西嶋幸右共訳. 法律文化社, 1982.6
  • ジョージ=リューデ『イデオロギーと民衆抗議 近代民衆運動の歩み』前間良爾,志垣嘉夫,古賀邦子共訳 法律文化社, 1984.9
  • ドロシィ・トムスン『チャーティスト 産業革命期の民衆政治運動』岡本充弘共訳. 日本評論社, 1988.9
  • G.D.H.コール『チャーティストたちの肖像』増島宏, 岡本充弘共訳 (りぶらりあ選書) 法政大学出版局, 1994.4
  • ドロシー・トムプスン『階級・ジェンダー・ネイション チャーティズムとアウトサイダー』小関隆共訳 (Minerva歴史・文化ライブラリー ミネルヴァ書房, 2001.9
  • C・エリクソン『イギリス摂政時代の肖像 ジョージ四世と激動の日々 (MINERVA歴史・文化ライブラリー ミネルヴァ書房, 2013.5

脚注

  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ 古賀秀男氏死去:熊本日日新聞
  3. ^ 古賀秀男『チャーティスト運動の研究』関西学院大学〈文学博士 乙第58号〉、1976年。 NAID 500000364706https://id.ndl.go.jp/bib/000008503891 
  4. ^ 古賀秀男「古賀秀男教授 略年譜・著作目録」『史窓』第063巻、京都女子大学史学会、2006年2月、129-132頁、 CRID 1050001337576240512hdl:11173/744ISSN 0386-8931 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  古賀秀男のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「古賀秀男」の関連用語

古賀秀男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



古賀秀男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの古賀秀男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS