ヴィルヘルム・ハインリヒ_(ザクセン=アイゼナハ公)とは? わかりやすく解説

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ヴィルヘルム・ハインリヒ (ザクセン=アイゼナハ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/26 14:16 UTC 版)

ヴィルヘルム・ハインリヒ
Wilhelm Heinrich
ザクセン=アイゼナハ
在位 1729年 - 1741年

出生 (1691-11-10) 1691年11月10日
ネーデルラント連邦共和国、オラニエヴァウト
死去 (1741-07-26) 1741年7月26日(49歳没)
神聖ローマ帝国
ザクセン=アイゼナハ公領、アイゼナハ
配偶者 アルベルティーネ・ユリアネ・フォン・ナッサウ=イトシュタイン
  アンナ・ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ブランデンブルク=シュヴェート
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン=アイゼナハヨハン・ヴィルヘルム
母親 アマーリア・ファン・ナッサウ=ディーツ
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ヴィルヘルム・ハインリヒ(Wilhelm Heinrich von Sachsen-Eisenach, 1691年11月10日 - 1741年7月26日)は、ザクセン=アイゼナハ公(在位:1729年 - 1741年)。

生涯

ヴィルヘルム・ハインリヒは、ザクセン=アイゼナハ公ヨハン・ヴィルヘルムとその最初の妃アマーリア・ファン・ナッサウ=ディーツの長男として、オラニエヴァウトで生まれた。弟たちはみな早世した。

1713年2月15日にイトシュタインにおいて、ナッサウ=イトシュタイン伯ゲオルク・アウグストの娘アルベルティーネ・ユリアネと結婚したが、2人の間に子供は生まれなかった。アルベルティーネ・ユリアネの死から8か月後の1723年6月3日にベルリンにおいて、アルブレヒト・フリードリヒ・フォン・ブランデンブルク=シュヴェートの娘アンナ・ゾフィー・シャルロッテと再婚した。しかしこの結婚でも子供は生まれなかった。

1730年から1741年まで、ヨハン・アダム・ビルケンシュトックが楽長の地位に就き、宮廷オーケストラの音楽監督と指揮者を務めた。しかし、1741年にヴィルヘルム・ハインリヒが死去した後、宮廷聖歌隊は解散した[1]

ヴィルヘルム・ハインリヒは1729年の父の死後、ザクセン=アイゼナハ公領を継承した。ヴィルヘルム・ハインリヒの死後ははとこにあたるザクセン=ヴァイマル公エルンスト・アウグスト1世がアイゼナハ公領を継承した[1]。この継承によるアイゼナハとヴァイマルの間の統合は、2つの領地が正式に統合される1809年までは名目上のものであった。ヴィルヘルム・ハインリヒはアイゼナハで死去した。

脚注

  1. ^ a b Baselt, Bernd (1993), Buelow, George J., ed., “Brandenburg-Prussia and the Central German Courts” (英語), The Late Baroque Era: From the 1680s to 1740 (London: Palgrave Macmillan UK): pp. 230–253, doi:10.1007/978-1-349-11303-3_8, ISBN 978-1-349-11303-3, https://doi.org/10.1007/978-1-349-11303-3_8 2022年5月2日閲覧。 
先代
ヨハン・ヴィルヘルム
ザクセン=アイゼナハ
1729年 - 1741年
次代
エルンスト・アウグスト1世



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