岩下壮一神父のリデル観
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「ハンナ・リデル」の記事における「岩下壮一神父のリデル観」の解説
回春病院より早く創立した「神山復生病院」6代目院長の岩下壮一は、1931年(昭和6年)4月にハンナ・リデルを訪れている。彼はリデルに関して次のように述べている。 リデル自ら如何なる考えを有せられたかは知る由もないが、今日その生涯を歴史的に観察するときに、リデルはそれを自覚しておられたと否とに関わらず、一の大なる使命が遂行されたとのを認めざるを得ない。神はリデル嬢を選んでらい問題に関する日本の朝野の良心を覚醒せしめ給うた。なるほど復生病院の創立は回春病院のそれに年代的には先んじている。しかし御殿場のフランス人はあまりに隠忍にすぎた。ベルトラン師などが地元の悪者共にいじめられて警察署へ嘆願書を出したり訴訟をして敗れたりしている間にリデルは故渋沢子爵を動かし、上京する毎に内務大臣を訪問されたそうである。当時の当局者にとってこの英国人はたしかに苦手であったに相違ない。リデルはこうした人たちを相手にして十分太刀打ちのできる貫禄が具わっていた。外国人で婦人で身分があって、よき意味での政治的才幹を有したリデルの前には全ての門戸が容易に解放された。リデルはこれを善用することを忘れなかった。試みに、明治20年ころ官辺に縁故のない一日本人が救らい運動を志して、内務大臣を訪問したと考えて見給へ。彼はおそらく終日「人民控所」で待たされた挙句追い返されたであろう。 リデルは昔神山復生病院におけるころを、岩下にストレートに文句を言ったが、話が打ち解けたらミスターイワシタからファーザーイワシタに変わり、食事をしていけと打ち解けたという。
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