獨協中学校・高等学校とは? わかりやすく解説

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獨協中学校・高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 08:56 UTC 版)

獨協中学校・高等学校
北緯35度42分49.2秒 東経139度43分38.3秒 / 北緯35.713667度 東経139.727306度 / 35.713667; 139.727306
過去の名称 獨逸学協会学校普通科
獨逸学協会中学校(旧制)
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人獨協学園
設立年月日 1883年明治16年)
共学・別学 男子校
中高一貫教育 完全一貫制
課程 全日制課程
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード C113310500113 (中学校)
D113310500175 (高等学校)
高校コード 13579J
所在地 112-0014
東京都文京区関口三丁目8番1号
外部リンク 獨協中学・高等学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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獨協中学校・高等学校(どっきょうちゅうがっこう・こうとうがっこう、: Dokkyo Junior & Senior High School)は、東京都文京区関口三丁目に所在する私立男子中学校高等学校学校法人獨協学園が運営する完全中高一貫校[1]

概要

1883年(明治16年)、獨逸学協会学校が設立される。 開校当時からドイツ語を中心に教育を進めてきたが、第一次世界大戦ドイツ帝国が敗れると、ドイツ語を学ぶ生徒が激減し、昭和初期には経営環境が非常に厳しくなった。日独伊三国同盟成立の影響で、若干の人気回復を果たすが、第二次世界大戦後は、日本体系や教育制度がそれまでのドイツ式からアメリカ式に移行するとともに、旧制獨協中学校も存続の危機を迎えた。GHQに対しては、獨協とは「獨逸学協会」の略ではなく「独立協和」の略であると、苦しい弁明をしたほどであった。そのような中1952年(昭和27年)、第3次吉田内閣文部大臣も務めた天野貞祐が、母校再建のために第13代校長に就任。「人間教育」を教育理念の原点とする高い指導力によって、中学・高等学校の復興を果たした。

中高一貫制の教育区分は、中学校の第1学年および第2学年の前期2年間を「第1ブロック(基礎学力養成期)」、中学校第3学年および高等学校第1学年の中期2年間を「第2ブロック(学力伸張期)」、高等学校の第2学年および第3学年の後期2年間を「第3ブロック(学力完成期)」に区分する「2-2-2制」を採用している[2]

教育理念

「心構えは正しく、身体は健康、知性に照らされた善意志と豊かな情操とを持つ、気品のある人間の育成を目指す。」これが為には、すべての生徒に、それぞれ人間としての自信と矜持(誇り)とを抱かしめ、各自の天分を開発し、その長所を培養する。他日社会に出ては、日日の生活に感謝と喜びとを見出し、勤勉努力して社会に奉仕し、広く文化の創造に寄与する人間となることを期待するわけである。教育愛こそ本学園の情熱であり、人間教育こそ本学園の精神である。

これは、第13代校長である天野貞祐が述べた言葉である。現在ではこの言葉が学園の中で広く浸透し、事実上の教育目標および教育方針となっている。

年表

  • 1876年 - 北白川宮能久親王を念頭に、ドイツ長期留学者の品川彌二郎青木周蔵桂太郎等の人物により独逸同学会発足。
  • 1881年 - ドイツ文化を摂取し、我が国文教の興隆を図る目的の下、西周桂太郎加藤弘之等の人物により独逸学協会設立。
  • 1883年 - 獨逸学協会学校創立。初代校長西周就任。
  • 1884年 - 専修科(法律・政治専攻)および普通科を併設。
  • 1893年 - 普通科を獨逸学協会学校中等部に改称。
  • 1894年 - 『独逸文法教科書』初版発行。
  • 1895年 - 専修科が東京帝国大学法科へ移管され廃止となる。
  • 1901年 - 夜間の出火が原因で校舎および書庫を消失。
  • 1902年 - 小石川関口台に新校舎竣工。
  • 1905年 - シラー没後百年祭
  • 1914年 - 第一次世界大戦ドイツが「敵国」となった影響で生徒数が減少。
  • 1926年 - ドイツ政府よりドイツ人教師費用として、毎年一万マルク寄贈の旨が伝達される。
  • 1937年 - 獨逸学協会中学校へ改称。
  • 1938年 - 来日中のヒトラーユーゲント代表が来校。
  • 1940年 - 欧州におけるナチス・ドイツの「興隆」や、マスコミにおけるアングロ・サクソン文明への批判の高揚、日中戦争の拡大などの「時局」柄か、ドイツ語を志望する者が極めて多くなった。200名の定員に対し、入学志願者1,360名に達した。(昭和9年度の入学者148、11年158、12年256名)。
  • 1943年 - 学制「大改革」が公布され、中学校の修業年限が4年に短縮、上級生徒はいずれも軍事目的に学徒動員される。
  • 1944年 - 中学4,5年生徒に長期勤労動員令が下り、以後全学年の学業停止。都内北部の陸軍兵器補給厰や民間軍需工場に動員され、銃後の勤労に全力を投入した。個人で少年航空兵などに応募し、帰らぬ獨協生が幾人も出た。
  • 1945年5月25日 - 翌26日未明にかけて山手一帯が米空軍の大空襲を蒙る。交代夜勤中の教職員と当直の生徒一隊は迫りくる猛火の消化に努め、ついに校舎および附属図書館等を灰滅から守る。この頃目白台は要塞化、獨協には海軍部隊が駐屯。
  • 1945年8月15日 -「終戦」の詔勅。下級生は炎暑の校庭で、上級生は動員先で聴く。家を焼かれ、父や母を失い、就学継続が不可能になった獨協生も多かった。
  • 1947年 - ドイツ第三帝国大日本帝国の敗北によって廃校の危機を迎えた獨逸学協会学校は「独立協和」の意味として「独協」表記とし、校名を独協学園とする。
  • 1948年 - 新制独協中学校・高等学校が発足。
  • 1952年 - 天野貞祐、独協中学校・高等学校第13代校長に就任。
  • 1953年 - OB等の要望で、学園名および校名を獨逸学協会の獨協学園および独協中学校・高等学校に復する。
  • 1997年 - 中高一貫制を開始。
  • 1998年 - 新校舎が完成。
  • 2000年 - 1997年入学生が高校1年に進級と同時に、高校からの募集を停止し完全中高一貫校化。獨協同窓会ドクターズクラブ(DDC)発足。
  • 2002年 - 高校からの入学生が卒業し、完全中高一貫校となる。
  • 2008年 - 入試回数を2回から3回へ変更。
  • 2014年 - 入試募集人員を210名から200名へ変更。
  • 2016年 - 第三回入試の日程を2月5日から2月4日へ変更。
  • 2019年 - 新中1を5クラスから6クラス編成へ変更。
  • 2020年2月26日 - 翌年より国数2教科による2月1日の午後入試を新設することを発表。
  • 2023年 - 学園創立140周年、獨協医科大学との高大連携プロジェクトによる新推薦枠(10名以下)が新設。

施設

校舎は教室が設置されている本校舎と、小道を挟んだ向かい側にあるスポーツ設備を備えた100周年記念体育館の2つに分かれている。

現在の本校舎は地上5階、地下1階建、モダンな構造で1998年(平成10年)に落成した。設計コンセプトは「『光と、風と、緑の創造空間」で、オーディオテクニカ本社などのデザインを手がけた赤坂喜顕が設計。日本建築学会作品選奨に選定された[3]

校舎は部室棟とともに中庭グラウンドを囲む形で建てられている。

100周年記念体育館は1983年(昭和58年)に落成。

ほとんどの教室にプロジェクターが設置されている。

部活動・委員会

2024年の時点で32の部活、1個の同好会、6つの委員会がある[4]。同好会は同学年有志が創ることが多く、数年で廃部や自然消滅となることが多い(数学同好会や英語同好会など)。また、部活に入らない生徒の増加・低学年化が進み、廃部になったり(PC部)、廃部の危機に瀕している部活(天文部など)も少なくない。学校の管理上、部活動を中学と高校で分けているのはサッカー部と野球部のみだが、部活動によっては中学と高校で異なる活動をしていることもある。

運動部

文化部

同好会

委員会

交通アクセス

出典 : [6]

東京メトロ
路線名 最寄り駅 出口 徒歩所要時間
有楽町線 護国寺駅 6番 8分
江戸川橋駅 1A 10分
副都心線 雑司が谷駅 3番 16分
都営バス
乗車駅 系統 下車停留所 徒歩所要時間
目白駅 白61 ホテル椿山荘東京 1分
雑司が谷駅(鬼子母神前)
根津駅 上58 音羽一丁目 5分
高田馬場駅 飯64 江戸川橋 8分
上69

獨協学園同窓会ドクターズクラブ (DDC)

2000年(平成12年)に獨協同窓会ドクターズクラブ(DDC)が発足。

毎年2月にはそれぞれの当番大学同窓会が責任を持って学術会議を開催している。

学校関係者および関連団体

総裁

歴代校長

  • 初代 - 西周(1883年10月 - 1887年4月)
  • 2代 - 桂太郎(1887年4月 - 1890年7月)
  • 3代 - 加藤弘之(1890年7月 - 1903年9月)
  • 4代 - 大村仁太郎(1903年9月 - 1907年6月)
  • 5代 - 石川千代松(1907年6月 - 1907年7月)
  • 6代 - 長井長義(1907年7月 - 1920年7月)
  • 7代 - 金杉英五郎(1920年7月 - 1927年10月)
  • 8代 - 司馬亨太郎(1929年5月 - 1936年2月)
  • 9代 - 小山松吉(1936年3月 - 1946年1月)
  • 10代 - 吉岡正明(1946年1月 - 1951年12月)
  • 11代 - 額田豊(1951年12月 - 1952年5月)
  • 12代 - 市川秀雄(1952年5月 - 1952年12月)
  • 13代 - 天野貞祐(1952年12月 - 1970年3月)
  • 14代 - 小池辰雄(1970年4月 - 1979年3月)
  • 15代 - 篠原寛(1979年4月 - 1982年3月)
  • 16代 - 蝦名賢造(1982年4月 - 1987年3月)
  • 17代 - 山鹿誠次(1987年4月 - 1989年3月)
  • 18代 - 朝倉保平(1989年4月 - 1993年7月)
  • 19代 - 戸張敦雄(1993年8月 - 1995年8月)
  • 20代 - 奥田千秋(1995年9月 - 2000年3月)
  • 21代 - 永井伸一(2000年4月 - 2011年3月)
  • 22代 - 渡邊和雄(2011年4月 - 2021年3月)
  • 23代 - 上田善彦(2021年4月 - 2025年3月)
  • 24代 - 坂東広明(2025年4月 - )

教職員経験者

著名な出身者

政治・行政・経済

学者

文化

関連団体

  • 獨協同窓会ドクターズクラブ (DDC)

関連学校・関連施設

脚注

  1. ^ 獨協中学校・高等学校
  2. ^ 学習内容 | 獨協中学・高等学校
  3. ^ 2001年作品選奨-AIJ
  4. ^ 部活動紹介”. 獨協中学校・高等学校. 2025年1月13日閲覧。
  5. ^ 校舎にプール施設はないため、部活動の際は校外に出る。
  6. ^ アクセスマップ”. 獨協中学校・高等学校. 2025年1月13日閲覧。

関連項目

外部リンク





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