誕生・浅草オペラ時代
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1899年(明治32年)12月20日、秋田県雄勝郡東成瀬村に、旧藩の御殿医者の息子として生まれる。 1917年(大正6年)、獨逸学協会学校中学部(現在の獨協中学校・高等学校)を卒業後、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)に入る。1918年(大正7年)、同学校を中退して同郷の先輩である石井漠の一座に入り、高田昇という芸名で浅草オペラの舞台に立つ。1919年(大正8年)、石井を中心とするオリエンタル協会が結成され、日本各地から朝鮮辺りまで巡業するが、この間、前年に日本はロシア革命干渉を目的とするシベリア出兵を開始しており、高田は1920年(大正9年)に騎兵第八聯隊に所属して従軍する。1922年(大正11年)10月、陸軍中尉で帰還し、除隊。1923年(大正12年)、博多で現代劇社を創立し、再び舞台に立つ。
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