誕生 - 日本女子長距離界を支えた1968年組
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1968年、スイカ・メロンの全国一の産地である熊本県鹿本郡植木町(現:熊本市北区)の農家に生まれる。小学生の頃は無口でいじめられっこだったが、小学校5年生のとき市内のマラソン大会で優勝。そのときの母ユイ子の笑顔がうれしく、陸上に目覚め、それとともに性格も明るくなる。以来、母のバイク伴走でマラソンの自主練習に励んだ。中学校ではバスケットボール部に所属していたが、高校から陸上部に所属。しかし、高校時代は全国的には無名で、当初は看護婦(現:看護師)を目指していた。 同じ1968年生まれの日本女子ランナーでは、1992年バルセロナオリンピック10000m・1996年アトランタオリンピックマラソン代表の真木和(のち姓・山岡、2018年10月に49歳没)、バルセロナ・アトランタ五輪両10000m代表で1997年世界陸上アテネ大会女子マラソン金メダリストの鈴木博美(現姓・伊東)、アトランタ五輪5000m・2000年シドニーオリンピック・2004年アテネオリンピック両10000m代表と、日本女子の陸上長距離界では唯一の五輪3大会連続出場者だった弘山晴美(旧姓・鈴木)、と錚々たる名前が並ぶ。この68年組の彼女ら(時に「四天王」とも呼ばれる)が横浜国際女子駅伝・国際千葉駅伝に代表される草創期の国際女子駅伝の全日本チームを支え、国内の女子駅伝を盛り上げ、そして日本女子長距離界を引っ張ってきた。しかしその一方で、この68年生まれの4人のうち女子マラソンでオリンピックに出場できたのは真木一人のみで、しかも真木は4人の中でマラソン最高記録ならびに選考レースでの記録が最も遅く、奇しくもあとの三人は同じように記録上は代表選手より早いにもかかわらず五輪に出場できていないという、女子マラソン五輪代表選考騒動 (後述)に巻き込まれることになる。
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