そとばこまち【卒都婆小町】
卒塔婆小町
卒塔婆小町
卒都婆小町
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 14:00 UTC 版)
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作者(年代) |
観阿弥 |
形式 |
能柄<上演時の分類> |
四番目物・老女物 |
現行上演流派 |
観世・宝生・金春・金剛・喜多 |
異称 |
シテ<主人公> |
老女(小町) |
その他おもな登場人物 |
旅の僧 |
季節 |
秋(9月) |
場所 |
山城・鳥羽 |
本説<典拠となる作品> |
『玉造小町子壮衰書』 |
能 |
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卒都婆小町(そとばこまち)は能楽作品。また「そとわこまち」(観世流)、「そとわごまち」(喜多流)ともいう。観阿弥作。小野小町を主人公とする「小町物」の代表的作品である。七小町の一曲。
乞食の老女が卒塔婆に腰掛けているのを、高野山の僧が見咎め、説教を始めるが、逆に法論でやり込められる。驚いた僧が彼女の名を聞けば、かつては才色兼備を謳われた小野小町の成れの果てだという。彼女は自らの来し方を語り始めるが、彼女にあこがれて通いつめながらついに願いを果たせなかった四位の少将の霊にとりつかれ、苦しめられる。
翻案作品
卒塔婆小町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:58 UTC 版)
「卒塔婆小町」(そとばこまち)は1952年(昭和27年)、雑誌『群像』1月号に掲載された。三島は〈時間と空間を超越した詩のダイメンション〉を舞台に実現しようという近代能楽の試みに触れ、原典の『卒塔婆小町』を翻案した主題については、〈作者自身の芸術家としての決心の詩的告白〉だという点で『邯鄲』と同じとし、〈詩人のやうな青春を自分の内にひとまづ殺すところから、九十九歳の小町のやうな不屈な永劫の青春を志すことが、芸術家たるの道だと愚弄してゐるわけである」と語っている。 そして作品の意図について、〈現代における観念劇と詩劇とのアマルガム〉であるとし、台詞には〈無韻の詩〉が流れ、舞台には〈詩的情緒の醸成のもうひとつ奥に、硬い単純な形而上学的主題〉が存在しなければならないとしている。 小町は、「生を超越せる生」、形而上学的生の権化である。詩人は肉惑的な生、現実と共に流転する生の権化である。小町には、決して敗北しないといふことの悲劇があり、詩人には、浪漫主義的な、「悲劇への意志」がある。二人の触れ合ひはこの種の誤解と、好奇心と軽侮をまじへた相互の憧れに基いてゐる。 — 三島由紀夫「卒塔婆小町演出覚え書」
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