新川二朗とは? わかりやすく解説

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新川二朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 07:58 UTC 版)

新川 二朗
新川二郎[注 1](1963年。キングレコードの広告)
基本情報
出生名 沢田 幸雄
別名 新川 二郎(旧芸名)
生誕 (1939-11-02) 1939年11月2日
出身地 日本石川県羽咋郡志雄町(現:宝達志水町
死没 (2022-08-21) 2022年8月21日(82歳没)
ジャンル 演歌
職業 歌手
活動期間 1963年 - 2022年
レーベル キングレコード
事務所 新栄プロダクション
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新川 二朗(しんかわ じろう、1939年11月2日[1] - 2022年8月21日)は、日本の演歌歌手

経歴

石川県羽咋郡志雄町(現在の宝達志水町)出身[2]で、実家は商店街にあった小さな商店。

明るい性格のムードメーカーで、羽咋高校ではボクシング部に所属していた。

金沢ヘルスセンターで歌っているところを、村田英雄にスカウトされ[3]、1962年にキングレコードから『君を慕いて』でデビュー[4]

1964年、『東京の灯(ひ)よ いつまでも』が年末までに50万枚を超える売上を記録[5]。同年の「第15回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たす[4]。当時では破格の400万円の年収を得ていた。

2020年にNiziUのメンバーとしてマヤが出場するまで、石川県出身者で唯一の紅白出場歌手であった。晩年まで地方のステージをこなし、2022年4月11日放送の「歌謡プレミアム(BS日テレ)」が最後のテレビ出演となった。

2022年4月に脳梗塞で倒れ療養していたが、同年8月21日夜に千葉県松戸市内の病院で脳梗塞からくる気管支炎のため死去[3][4]。82歳没。

代表曲

  • 東京の灯よいつまでも (1964年7月)
    作詞:藤間哲郎/作曲:佐伯としを/編曲:佐伯としを

出演

テレビ

映画

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 対戦相手
1964年(昭和39年)/第15回 東京の灯よいつまでも こまどり姉妹

脚注

注釈

  1. ^ デビュー当時の芸名。

出典

  1. ^ “「東京の灯よ-」の新川二朗3歳サバ呼んでいました”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 25 June 2016. 2016年6月27日閲覧.
  2. ^ 新川二朗さん死去 旧志雄町出身、82歳 紅白出場、「東京の灯よいつまでも」大ヒット|文化|石川のニュース|北國新聞”. 北國新聞. 2022年8月23日閲覧。
  3. ^ a b “演歌歌手の新川二朗さん死去 82歳、64年「東京の灯よいつまでも」がミリオンセラー”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 22 August 2022. 2022年8月22日閲覧.
  4. ^ a b c 演歌歌手の新川二朗さん死去 「東京の灯よいつまでも」が大ヒット:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年8月23日閲覧。
  5. ^ LPレコード『キングレコード40年の歩み 昭和の流行歌〈後編〉』(1971年、SKM1085〜6)付属のライナーノーツ、4頁。

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