神職の制度化と白鳥氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:01 UTC 版)
「北海道の神社の歴史」の記事における「神職の制度化と白鳥氏」の解説
松前地では、中世から修験者などが土着し、世襲で神職を務めるようになった。福山城では、城の鎮護守として神明社(後の松前八幡宮)を建立し、その宮司は代々「白鳥氏」を名乗った。白鳥家は松前藩から国中社頭御役に任じられるとともに、神祗管領吉田家を通じて朝廷の官位を得て松前地の神職の長となった。白鳥家に関して現存する古文書は少ないが、歴代の宮司による『白鳥氏日記』には天明8年(1788年)から文久2年(1862年)の様子が記されている。神明社を筆頭に、松前城下で特に有力な神社を総して「松前七社」と称した。松前七社は宝暦年間に描かれた『松前江差屏風』にも描かれている。 松前地では白鳥氏のもとで神職や神事が整えられ、松前神楽に代表される神事の体系が制度化された。一方、蝦夷地の各地で「自然発生的に」登場した海・水神を祀る祠はこうした体系の外側にあった。
※この「神職の制度化と白鳥氏」の解説は、「北海道の神社の歴史」の解説の一部です。
「神職の制度化と白鳥氏」を含む「北海道の神社の歴史」の記事については、「北海道の神社の歴史」の概要を参照ください。
- 神職の制度化と白鳥氏のページへのリンク