学舎の創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 08:16 UTC 版)
出羽国上山藩の藩校明新舘や京都、江戸などに学んだ儒学者本沢竹雲は慶応3年(1867年)に帰郷して明新館督学として儒学を教授していたが、戊辰戦争後、明新館は閉鎖されてしまった。格知学舎は、竹雲の門人で東村山郡貫津(ぬくつ)村(現天童市)の名主であった結城六右衛門に招かれ、天領の漆山役所の許しによって明治2年(1869年)2月に開かれた私塾である。建物は明治3年(1870年)に落成し、間もなく寄宿生約三十人と通学生十数名が入門している。
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