学者職分論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:49 UTC 版)
この論争は福澤が『明六雑誌』の外から提起したものであった。福澤の代表作『学問のすすめ』第4篇において、学者とは官職に就くべきでなく、野にあるべきである。啓蒙の目的の一つは民衆の無気力・権力への卑屈さを克服することにあるが、それらは専制政府によってもたらされる。つまり真に啓蒙を行おうとすれば、官途にあってはできない、民間の力によって成し遂げられねばならないというのが、福澤の意見であった。そして在官学者を「恰〔あたか〕も娼妓の客に媚るが如し」と痛烈に批判したのである。 これに対して加藤、森、津田、西ら在官組が反論した。ただ福澤も他の同人も基本的に官民協調論に立つことは共通しており、批判は福澤が民に比重を置きすぎているという点に加えられたに過ぎない。それでも在野精神旺盛な福澤は、明六社にあってやや異色なところがあって、他の在官啓蒙家たちに批判的な部分があった。明六社には最後まで在籍したものの、『明六雑誌』には僅か三本しか論説を発表していない。この点につき『学問のすすめ』や『文明論之概略』の執筆時期と重なるとはいえ、少なすぎると指摘する研究もある(戸沢1991)。明六社同人内の官/民をめぐる思惑のすれ違いは、やがて『明六雑誌』停刊の際に噴出することになる。
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