静岡藩主になるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:54 UTC 版)
1863年(文久3年)7月11日、江戸城田安屋敷において、田安家当主・徳川慶頼の三男として誕生した。幼名は亀之助。慶頼は第14代将軍・徳川家茂の将軍後見職であり、幕府の要職にあった。母は高井武子。家達は家茂および第13代将軍・徳川家定の再従兄弟にあたる。 1865年(元治2年)2月5日、実兄・寿千代の夭逝により田安家を相続する。1866年(慶応2年)に将軍・家茂が後嗣なく死去した際、家茂の近臣および大奥の天璋院や御年寄・瀧山らは家茂の遺言通り、徳川宗家に血統の近い亀之助の宗家相続を望んだものの、わずか4歳の幼児では国事多難の折りの舵取りが問題という理由で、また静寛院宮、雄藩大名らが反対した結果、一橋家の徳川慶喜が第15代将軍に就任した。
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