日本書紀の記述
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『日本書紀』の斉明天皇4年(658年)7月4日、阿倍比羅夫遠征に対する功賞で、複数の柵造が見える。これが柵造に関する史料である。この記事によれば、 都岐沙羅柵造に位2階、判官に位1階、渟足柵造の大伴君稲積に小乙下の位が授けられた。
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日本書紀の記述
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【日本書紀 景行天皇十八年七月丁酉条】(18年7月7日) 八女県(やめのあがた) に着いた景行天皇が藤山を越え、南方の粟岬(あわのさき)を望んだ。 そして詔して「その山の峰は幾重にも重なってとても美しい。もしや神がその山におられるのか」と言った。 そこで水沼県主猿大海が「八女津媛(やめつひめ)という名の女神がおられます。常に山の中においでです」と言った。
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