日本書紀著作者の一人か
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言語学者の森博達は、持統朝に編纂された日本初の正史『日本書紀』について、具体的な作者を続守言・薩弘恪と推定している。また、700年以降の記録が見えないことから、『日本書紀』の編纂途中で隠退または死亡したとしている。詳しくは続守言の項を参照。
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日本書紀著作者の一人か
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言語学者の森博達は、持統朝に編纂された日本初の正史『日本書紀』について、音韻・真仮名の用字・文法・語彙などを精査し、正格調の漢文で書かれ倭習の少ないα群(巻14雄略紀から19欽明紀、巻24皇極紀から27天智紀)と、表記や文法に強い倭習が認められるβ群(巻1神代上から13允恭・安康紀、巻22推古紀から23舒明紀)に分けて分析。α群の著作者について、当時の唐の音韻を正確に把握している一方で倭の習俗・語法を理解できていない部分が多く認められることから、これらが渡来唐人一世によって書かれた可能性が高いとし、具体的な作者を続守言・薩弘恪と推定している。上記の持統6年の水田4町賜与も書紀述作の功労と思われる。さらにα群の中でも巻14から巻19までと、巻24から巻27までは担当者が異なる形跡があり、後者の巻26にある続守言本人の来倭記事に自身が別伝を附することはあり得ないため、巻14から巻19までを続守言、巻24から巻27までを薩弘恪が執筆したとしている。
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