日本最初の僧尼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 06:07 UTC 版)
584年(敏達天皇13年)、高句麗の僧だったがそのとき還俗していた恵便を師として出家し、善信尼を名乗った。11歳のときである。禅蔵尼、恵善尼も尼となった。男女あわせ日本人で初めての出家者である。仏教は前代に禁圧されており、善信尼の出家は、仏教を興そうとする蘇我馬子の様々な手立ての一環であった。善信尼らは、馬子の庇護のもと、池辺氷田と司馬達等のもとで衣食を供された。 この年、蘇我馬子が居宅の東に仏殿を作り、弥勒菩薩の石像を安置したとき、3人の尼はその大会(大きな法会)に呼ばれた。僧尼をもてなすことは仏教の実践では大切なことで、馬子・氷田・達等らは3人の尼を篤く尊崇した。蘇我馬子は、翌585年(敏達天皇14年)2月24日には仏塔を建てて大会を催した。
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