日本最初の演奏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 05:49 UTC 版)
交響曲第9番を日本で初めて合唱付きで全曲演奏したのは、1918年(大正7年)6月1日、徳島県板東町(現・鳴門市)の板東俘虜収容所に収容されていたドイツ兵たちであった。当時、中国の青島はドイツの租借地であり、日本は第一次世界大戦に連合軍側に立って参戦すると、ここを占領し彼らを捕虜として収容したのである。ドイツ人捕虜たちは、収容所長の松江豊寿大佐の人道的扱いによって自由に音楽を楽しんでいた。このエピソードは『バルトの楽園』として2006年に出目昌伸により映画化され、それ以前にもNHKの連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」(1980年放送)などで取り上げられている。 なお「歓喜の歌」の部分だけの演奏は、板東における全曲の初演より早く、1916年(大正5年)8月20日、徳島俘虜収容所(徳島市)のドイツ兵により行われている。 また、歓喜の主題がメロディーとして日本人に知られたのはさらに古く、1912年(明治45年)の『日曜学校讃美歌』では「ものみなうるはし ものみなたのし」の歌詞を付けて紹介されている。1917年(大正6年)の第一高等学校寮歌「とこよのさかえに」も、歓喜の主題を使ったものである。
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