日本最初の鉄道の状態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/14 19:47 UTC 版)
「茅沼炭鉱軌道」の記事における「日本最初の鉄道の状態」の解説
開業したのは、茅沼炭鉱坑口 - 茅沼港(積み出し港)の2.8km。鉄道とはいっても、仮設軌道やトロッコに近い。記録によれば、枕木は約150mm×150mm×1500mmの角材を用い、約900mm間隔で並べていた。レールは枕木と同じ寸法の角材に、補強用の幅15mmの鉄板を取り付けたものを使用していた。軌間(レールの間隔)は約1,050mm(3尺5寸)であった。 貨車(トロッコ)は大型と小型のものがあった。茅沼炭鉱坑口から積み出し港までは緩やかな傾斜であることを利用し、茅沼炭鉱坑口→積み出し港は、貨車の重さを利用して坂を下らせた。制御のため、人が1名乗車していたという。積み出し港から茅沼炭鉱坑口へは牛、馬の力、場合によっては人力で動かしたという。小型貨車は、茅沼炭鉱坑口に滑車を設置し、2台の貨車を長いロープで繋ぎ、井戸の釣瓶のように2台を交互に動かす方法をとっていたという(日本最初期のインクライン)。貨車は4トン積めた。廃藩置県前、北海道の分領支配で米沢藩が同地を任されており、馬廻組の山田民弥(たみや)と絵図方の浜崎八百寿(はまざきやおす)が1870年(明治3年)3月上旬に滞在。山田の『恵曽谷日誌』には、浜崎の描いた絵入りでこの様子が記録されている。
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