日本最初の女子留学生とは? わかりやすく解説

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日本最初の女子留学生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:25 UTC 版)

津田梅子」の記事における「日本最初の女子留学生」の解説

明治4年1871年)に仙は北海道開拓使嘱託となり、津田家三田移った同年10月アメリカ訪問時に男女平等女子教育必要性実感した開拓次官黒田清隆太政官正院に伺出て実現させた開拓使による女子留学生アメリカ派遣事業に、仙は梅子応募する結果募集応じた最年少梅子(満6歳)を含む女子5名を開拓使推挙し正院にて承認された。出発先立ち女子留学生5人は士族の子女としては歴史上初め皇后拝謁賜り11月に他の官費留学生とともに岩倉使節団随行して渡米した新暦1871年12月23日本節は以下新暦で記す)に横浜出港し1872年1月15日サンフランシスコ入港同年1月31日サンフランシスコを5両編成貸切列車出発し大陸横断鉄道経由してワシントンD.C.向かったが、40年ぶりとされる大雪により日程遅れたソルトレイクシティ18日待機)。2月25日シカゴ到着翌日夜にワシントン向けて出発した。5人の女子留学生アメリカ到着後もなかなか洋服買ってもらえずにいたが、岩倉具視談判の末シカゴでようやく洋服を買い与えられた。その時撮影したとされる5人の記念写真残されている。

※この「日本最初の女子留学生」の解説は、「津田梅子」の解説の一部です。
「日本最初の女子留学生」を含む「津田梅子」の記事については、「津田梅子」の概要を参照ください。

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