日本書紀の潤色について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 05:23 UTC 版)
20世紀中後期頃までは、『日本書紀』の信憑性が評価され乙巳の変に始まる大化の改新が日本の律令制導入の画期だったと理解されていた。1967年12月、藤原京の北面外濠から「己亥年十月上捄国阿波評松里□」(己亥年は西暦699年)と書かれた木簡が掘り出され郡評論争に決着が付けられたとともに、『日本書紀』のこの部分は編纂に際し書き替えられていることが明確となったとされている。
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