天狗信仰とは? わかりやすく解説

天狗信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/23 00:35 UTC 版)

愛宕権現」の記事における「天狗信仰」の解説

愛宕修験では天狗信仰が盛んだったため、愛宕太郎坊天狗祀った藤原頼長日記台記』にも愛宕山の天狗信仰に関する記載みられる若宮太郎坊大権現称してカグツチイザナミ第五皇子であるとしその化身愛宕太郎坊であるとされた。(第五とするのは日本書紀の記述より天照月読児、素戔嗚の順でその次のとされる為)また、神武天皇長脛彦撃破した際、現れ金鵄もまたカグツチ化身であるとされた。なお東京都港区の愛宕神社 (東京都港区)では、愛宕太郎坊猿田彦化身とされている。

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天狗信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:00 UTC 版)

金毘羅権現」の記事における「天狗信仰」の解説

修験道盛んになると金毘羅権現眷属天狗とされた。『和漢三才図会』には「当山天狗金比羅坊ト名ヅク」と記された。また、戦国時代末に金毘羅信仰中興した金光第四院主修験者でもあった金剛坊宥盛(1613年没)は、1606年自らの像を作って本殿脇に祀り亡くなる直前神体守り抜く誓って天狗になったとの伝説生まれた本殿神体秘仏で、宥盛像も非公開だったので、その後法衣長頭襟姿の宥盛像が金毘羅権現そのもの思われるようになった。その宥盛像は廃仏毀釈明治5年に他の仏像仏具とともに浦の谷において焼却されとされるが、その時、宥盛像を火中投じる暴風起き周り者共卒倒したという。なお、奥社今でも祀られているとも云われている。 江戸時代になると、天狗の面背負った白装束金毘羅道者行人)が全国巡って金毘羅信仰普及したまた、全国各地から讃岐国象頭山金毘羅大権現詣でる金毘羅参りの際には、天狗の面背負習俗生まれた今は讃岐三天の一金剛坊呼ばれる(他は八栗寺中将坊と白峯寺相模坊)。

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