天狗倶楽部とは? わかりやすく解説

天狗倶楽部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/30 23:32 UTC 版)

天狗倶楽部(2列目右端が押川春浪

天狗倶楽部(てんぐくらぶ)は、戦前明治大正期から昭和初期まで日本に存在していたスポーツ愛好社交団体。黎明期のアマチュアスポーツ、特に野球相撲の振興に努め、後に野球殿堂入りする人物が5人輩出している他、日本初の学生相撲大会を開催するなどしていた。中心人物は冒険小説家の押川春浪

沿革

1909年明治42年)ごろ、大の野球好きであった冒険小説家の押川春浪を中心に

などのメンバーが集まり、野球の試合が行われたのが倶楽部の始まりである。なおこの時、試合に参加はしていないものの、作家の柳川春葉岩野泡鳴が観戦に訪れている。当初は特に集団としての名前もなく「文士チーム」などと呼ばれていたが、羽田球場で早大野球部と米艦クリーブランド(C-19 Cleveland)乗員チームとの試合が行われた際、前座としてやまと新聞チームと試合を行い、この試合の様子を報じた萬朝報が「天狗チーム」[注釈 1]と呼んだことから「天狗倶楽部」となった。以後、メンバーは増えていき、最大時には約100人のメンバーを抱えていた(ただし、入退会に特に手続きはなく、また会員名簿もなかったため、メンバーと非メンバーに明確な境があったわけではない)。また、メンバーの呼び方は必ず苗字の後に『○○天狗』である。

活動内容は、野球を中心に相撲、テニス柔道陸上競技ボート競技など多岐にわたり、参加メンバーの中には、それぞれのジャンルで後に名を成す人間も多い。また、スポーツ活動の内容は、活動後の宴会の様子なども含めて雑誌や新聞の記事として面白おかしく書かれることも多く、それらの読者から大きな支持を受けていた。

大正時代以降、押川春浪をはじめ中沢臨川や柳川春葉など主要メンバーが相次いで他界し、次第に活動が下火になっていく。それでも、1936年昭和11年)に物故会員の追悼会を大阪で開催したり[1]1943年(昭和18年)には押川春浪の三十回忌墓参会を日本文学報国会と共催で行う[2][3][注釈 2]など、存在の痕跡は太平洋戦争末期まで見られる。

主な活動

野球

天狗倶楽部の面々(羽田球場

春浪が大の野球好きであり、早稲田大学野球部の関係者が多くメンバーに入っていたこともあって、野球は天狗倶楽部で最も親しまれたスポーツだった。一日に3-4試合を行うことも珍しくなく、結成からの3か月の間だけでも25試合を行っていた。

メンバーの中でも特に、プロ野球の創生に大きく関わった押川清河野安通志、「学生野球の父」と呼ばれた飛田穂洲、社会人野球に大きく貢献した橋戸頑鉄、スポーツ評論の草分けである太田茂の5人は日本野球の歴史に大きく関わっており、野球殿堂入りしている。この他にも、郷里の岩手で野球振興に努め「岩手野球の父」と呼ばれた獅子内謹一郎後楽園イーグルスの監督を務めた山脇正治、第一回早慶戦時の一番打者であり、後に宮内省野球班を組織する泉谷祐勝、アメリカのプロ野球チーム「オール・ネイションズ」に入団し、日本人初のプロ野球選手となった三神吾朗などが居た[要出典]

また、東京朝日新聞野球害毒論キャンペーンを張った時には、春浪を筆頭にメンバーは反対論陣の中心となっている。その他、全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)が開催された際には地方予選大会に協力した。

相撲

一高対天狗倶楽部の素人相撲

前述の通り、天狗倶楽部で最も盛んだったのは野球であったが、次いで盛んなのは相撲であった。1909年(明治42年)8月3日、相撲好きで知られた小説家・江見水蔭率いる「江見部屋」と天狗倶楽部との対抗試合が行われたが、これがアマチュア相撲・学生相撲の始まりである。翌年には、天狗倶楽部へ東京高等師範学校(現・筑波大学)からの挑戦状が来たことをきっかけに、国技館で中学22校、大学15校、天狗倶楽部、江見部屋などを集めた「国技館学生角力大会」が開催されており、以後毎年、「武侠世界」との共催で学生相撲大会が行われるようになる。この時大会運営の中心人物だったのが大村一蔵(後に帝国石油副総裁、日本地質学会会長などを歴任)であった。

また、1914年(大正3年)には関取玉椿憲太郎(最高位は関脇)も倶楽部に参加している。

テニス

当時、東京の田端に「ポプラ倶楽部」という芸術家の社交クラブが存在していたが、ここはテニスがその活動のメインであった。そして、ポプラ倶楽部の中心人物である小杉未醒(画家)、針重敬喜(編集者、新聞記者)は天狗倶楽部メンバーでもあったことから両倶楽部の交流は深く、天狗倶楽部でもテニスをしばしば行っている。この分野で特に大きな働きをしたのは針重で、後に日本庭球協会理事を務めるなどしている。また、弓館小鰐は日本最古のテニストーナメントである「東京オールドボーイズ庭球大会」(現在の毎日テニス選手権(毎トー))の開催を実現させている。

この他に、早稲田庭球部OBで、第3回極東選手権競技大会で優勝するなどし、早稲田大学の「三神記念コート」にその名を残す三神八四郎(吾朗の兄)もメンバーであった。

柔道

押川清など講道館の段位を持っている人間は何人か居たが、倶楽部として何かをなしたという実績はあまりない。しかし、前田光世コンデ・コマ)、佐竹信四郎と、世界中を武者修行してまわった柔道家二人がメンバーであったことは特筆される。

陸上

ストックホルムオリンピック代表選手予選羽田運動場で行われた際には、マラソンコースの距離測定を中沢臨川が行うなど協力した。さらに、もともと審判を務めるつもりであった三島彌彦が飛び入りで参加したところ、100メートル、400メートル、800メートル走で優勝し、代表選手に選ばれる。またこの時、代表選手にこそ選ばれなかったが、立幅跳びで泉谷祐勝が優勝している。

ボート

ボート界に名を残すメンバーは特にいないものの、早稲田大学漕艇部などと試合を行っていた記録がある。

「天狗倶楽部」エール

テング、テング、テンテング、テテンノグー。

奮え、奮え、天狗!

主なメンバー

脚注

注釈

  1. ^ 落語浪曲などの演芸で、アマチュアのグループのことを天狗連と呼ぶ。
  2. ^ 日本文学報国会の機関紙『文学報国』によれば、天狗倶楽部側からの申し出に日本文学報国会が賛意を示して挙行されたという。当日(11月16日)は、天狗倶楽部代表として弓館小鰐が、日本文学報国会から甲賀三郎久米正雄の代理として出席)が、それぞれ雑司が谷霊園内にある押川の墓前で追悼文を読み、続いて天狗倶楽部メンバー・日本文学報国会関係者・一般参列者が墓参。その後、霊園近くの茶亭で遺族を囲んで懇談会が催された(「押川春浪三十回忌墓参会」『文学報国』第11号(昭和18年12月1日付)、2頁[4])。

出典

  1. ^ 「天狗倶楽部物故先輩追悼会」読売新聞1936年11月13日付朝刊(東京本社版)、4頁
  2. ^ 「春浪卅年忌の集ひ」朝日新聞1943年11月12日付朝刊(東京本社版)、3頁
  3. ^ 「紙弾」読売新聞1943年11月12日付朝刊(東京本社版)、3頁
  4. ^ 文学報国 1990, p. 40.

参考文献

関連項目


天狗倶楽部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:01 UTC 版)

いだてん〜東京オリムピック噺〜」の記事における「天狗倶楽部」の解説

天狗倶楽部は、明治末期野球愛好家押川春浪創設した私的団体、現在でいう「サークル」に相当する組織。『スポーツ愛しスポーツ愛され、ただ純粋にスポーツを楽しむために活動する元気の権化』が部訓ユニフォームワッペンTNG」やメンバーがよく脱ぐといった設定史実準拠している。メンバーを呼ぶ際は、上の名字取って○○天狗」と呼んでいる。弥彦海外留学から帰国した大正初期には、世間スポーツへの関心薄れ少しずつ軍国主義的時代へと変わっていくようになり、メンバー高齢化進んだことから「天狗倶楽部」は解散する吉岡信敬よしおか しんけい) 演:満島真之介 天狗倶楽部のメンバー早稲田大学OB早稲田中学校在籍時から全国各地熱心にスポーツの応援活動繰り広げた事から、ついた仇名が“ヤジ将軍”。 天狗倶楽部の解散後読売新聞記者となり、東海道五十三次駅伝競争開催動き出した関わる女子スポーツには否定的な立場取り女子ランナー夢を抱くシマとも対立するが、女子陸上大会開かれた際はスポーツ取り組んでいる女子目の当たりにし、意見肯定的に転換させる中沢臨川なかざわ りんせん) 演:近藤公園 天狗倶楽部のメンバー京浜電鉄社員羽田オリンピック予選会では、陸上トラック整備を行う。 押川春浪おしかわ しゅんろう) 演:武井壮 天狗倶楽部の創設者作家弥彦帰国した頃、メンバー高齢化理由に天狗倶楽部の解散決定する

※この「天狗倶楽部」の解説は、「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の解説の一部です。
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