雑司が谷霊園とは? わかりやすく解説

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ぞうしがや‐れいえん〔ザフシガヤレイヱン〕【雑司ヶ谷霊園】

読み方:ぞうしがやれいえん

東京都豊島区にある都立霊園明治7年(1874)の開園面積は約115000平方メートル夏目漱石永井荷風泉鏡花小泉八雲文人の墓が多いことで知られる

雑司ヶ谷霊園の画像
雑司ヶ谷霊園の画像
小泉八雲の墓(右)
雑司ヶ谷霊園の画像
永井荷風の墓(中)
雑司ヶ谷霊園の画像
羽仁もと子の墓(左)
雑司ヶ谷霊園の画像
泉鏡花の墓
雑司ヶ谷霊園の画像
荻野吟子の墓と像
雑司ヶ谷霊園の画像 雑司ヶ谷霊園の画像 雑司ヶ谷霊園の画像

雑司ヶ谷霊園

(雑司が谷霊園 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/19 15:27 UTC 版)

雑司ヶ谷霊園
詳細
開園 1874年(明治7年)9月1日
所在地
日本
座標 北緯35度43分20秒 東経139度43分10秒 / 北緯35.7222度 東経139.7194度 / 35.7222; 139.7194座標: 北緯35度43分20秒 東経139度43分10秒 / 北緯35.7222度 東経139.7194度 / 35.7222; 139.7194
運営者 東京都公園協会
総面積 約11.5 ha
ウェブサイト https://www.tokyo-park.or.jp/reien/zoshigaya/
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雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん)は、東京都豊島区南池袋四丁目にある東京都立の霊園。面積は約12 ha

概要

明治政府の自葬禁止(1872(明治5)年6月28日)、神葬地設定(1872(明治5)年7月13日)、火葬禁止(1873(明治6)年7月18日太政官第二百五十三号)、旧朱引内 [注釈 1]の埋葬禁止、墓地令(1874(明治7)年6月22日)等の法令・布告・布達にともない共葬墓地の必要が生じ、東京府が東京会議所に命じて雑司ヶ谷旭出町墓地を造営 [注釈 2]1874年明治7年)9月1日に開設[1]

この場所は江戸時代には御料地で、徳川家光の時代の寛永15年(1638年)に薬草を栽培するための御薬園となり、徳川吉宗の時代の享保4年(1719年)に将軍の鷹狩用の鷹を飼育する御鷹部屋となっていた[1]

1876年(明治9年)に東京会議所から東京府が管理事務を引き継ぎ、1889年(明治22年)に東京市の管轄となったのち、1935年昭和10年)「雑司ヶ谷霊園」に名称変更。現在は東京都公園協会が管理している。

ジョン万次郎小泉八雲夏目漱石竹久夢二東條英機永井荷風サトウハチロー東郷青児大川橋蔵など著名人の墓が多くあり、夏目漱石の小説『こゝろ』の舞台にもなっている。

アクセス

都立公園公式サイトより[2]

著名人の墓

入口の説明
雑司ヶ谷霊園内の様子

脚注

注釈

  1. ^ 旧朱引内:御府内、東京府内。江戸の範囲を絵図面に朱線を引いて示したことから。明治2年、新たに朱引内(市街地)と朱引外(郷村)が設定された。
  2. ^ 同時期に造営された墓地に、青山、同立山、染井、亀戸、谷中がある。

出典

  1. ^ a b c 雑司ヶ谷霊園MAP”. 豊島区. 2022年8月16日閲覧。
  2. ^ アクセス|雑司ヶ谷霊園|都立公園公式サイト|TOKYO霊園さんぽより

参考資料

外部リンク



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