雑司が谷旧宣教師館とは? わかりやすく解説

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雑司が谷旧宣教師館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 06:28 UTC 版)

雑司が谷旧宣教師館(ぞうしがやきゅうせんきょうしかん)は、1907年明治40年)にアメリカ人宣教師のジョン・ムーディー・マッケーレブが自らの居宅として、現在の東京都豊島区に建築した住宅[1]。旧マッケーレブ邸とも呼ばれる[1]

豊島区に現存する最古の近代木造洋風建築で、東京都指定有形文化財[1]。正式名称は「東京都豊島区立雑司が谷旧宣教師館」である。

概要

建物は木造二階建てで、下見板張りにペンキを塗った外観(カーペンターゴシック様式)を持つ[2]。屋根は3面に破風板を付けた切妻である[2]。1階と2階に各3室を備える[2]

キリスト教による青年教育を志したマッケーレブは当初目白台に学校を開こうとしたが、隣接地の日本女子専門学校(現・日本女子大学)から懸念を示され、代替地として雑司が谷の土地を得て学校「雑司ヶ谷学院」を建設し、その敷地の一角にこの邸宅が建てられた[3]

1907年の建築後はマッケーレブの住居のほか、布教や教育活動の拠点としても使用された[1][2]。マッケーレブの居住当時は1階は食堂・リビング・教会事務室に、2階は寝室に用いられた[2]。しかし1923年(大正12年)の関東大震災で学院は大きな被害を受けて閉鎖となり、1928年に学院の建物を売却の上新たに幼稚園が設立された[3]。この際土地も一部を売却したため、宣教師館は曳家で移動している[3]。1941年(昭和16年)にマッケーレブは戦争の影響により帰国した[2][3]

戦後、豊島区が1982年(昭和57年)に取得し[4]、1987年(昭和62年)に区の登録有形文化財となる[1]。区による調査や保存のための修理が行われた後、1989年(平成元年)1月より一般に公開されている[1]

区による一般公開後は、1階に宣教師マッケーレブの日本での活動や生活の紹介の展示がなされている[1]。同階の児童図書コーナーでは、大正時代の『赤い鳥』(復刻版)などの児童図書が閲覧できる[1]。2階は、雑司が谷における近代の文化活動を紹介する展示となっている[5]

住所

東京都豊島区雑司が谷1丁目25-6

アクセス

開館日

  • 月曜、第3日曜、国民の祝日の翌日、年末年始を除き毎日開館
  • 開館時間 9:00~16:30
  • 料金 無料

近隣の施設

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 雑司が谷旧宣教師館の概要・沿革”. 豊島区. 2022年7月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 小石川・雑司が谷散策コース(小石川・雑司が谷を歩いてみませんか) - 東京都教育委員会(東京都文化財めぐり)
  3. ^ a b c d アメリカ人宣教師マッケーレブが愛した「雑司が谷」 - まいぷれ(2007年11月1日)2022年12月25に閲覧。
  4. ^ 旧マッケーレブ邸(雑司が谷旧宣教師館) - 豊島区
  5. ^ 雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)”. 東京とりっぷ. 2022年7月22日閲覧。

外部リンク

座標: 北緯35度43分14.6秒 東経139度43分14.1秒 / 北緯35.720722度 東経139.720583度 / 35.720722; 139.720583




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