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阿部貞次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 17:38 UTC 版)

阿部貞次郎

阿部 貞次郎(あべ さだじろう、1862年9月8日文久2年8月15日[1][2]) - 1922年大正11年)1月6日[1])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将位階および勲等、軍功は正四位勲二等功四級

経歴

越後国(現新潟県)出身[1]平民阿部勘次郎の次男として生まれる。1878年5月、分家し一家を創立。1880年(明治13年)1月、陸軍士官学校に入学。1882年(明治15年)12月、工兵少尉任官[3]1884年(明治17年)7月、士官学校(旧5期)を卒業[1][4]1889年(明治22年)12月、陸軍大学校(5期)を卒業した[1][4][5]

1902年(明治35年)5月、陸大幹事に就任し、同年12月、工兵大佐に昇進[4]1904年(明治37年)3月、第2軍工兵部長に発令され日露戦争に出征[1][4]1905年(明治38年)2月、第2師団参謀長となる[4]1908年(明治41年)12月21日、陸軍少将に進級し清国駐屯軍司令官に発令された[6]

1912年(明治45年)4月、対馬警備隊司令官に就任[1][4]1913年(大正2年)8月、由良要塞司令官に転じ、1914年(大正3年)5月、築城部本部長となり、同月、陸軍中将に進んだ[1][4]1916年(大正5年)8月、待命となり、1917年(大正6年)1月、予備役に編入された[1][4]。大正11年1月6日卒去行年62歳。墓所は雑司が谷霊園1種22。

家族

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』32-33頁。
  2. ^ 現代陸軍名将列伝では文久元年8月25日生とあり
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』64-65頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』65頁。
  5. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、546頁。
  6. ^ 『官報』第7648号、明治41年12月22日。
  7. ^ 『官報』第1034号「叙任」1886年12月9日。
  8. ^ 『官報』第2558号「叙任及辞令」1892年1月13日。
  9. ^ 『官報』第5920号「叙任及辞令」1903年3月31日。
  10. ^ 『官報』第7477号「叙任及辞令」1908年6月1日。
  11. ^ 『官報』第311号「叙任及辞令」1913年8月12日。
  12. ^ 『官報』第1357号「叙任及辞令」1917年2月12日。
  13. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1889年12月29日。
  14. ^ 『官報』第3849号・付録「辞令」1896年5月1日。
  15. ^ 『官報』第3794号「叙任及辞令」1896年2月25日。
  16. ^ 『官報』第5374号「叙任及辞令」1901年6月4日。
  17. ^ 『官報』第8679号「叙任及辞令」1912年5月27日。
  18. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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