『日本書紀』の日付の捏造の証明とは? わかりやすく解説

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『日本書紀』の日付の捏造の証明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 02:24 UTC 版)

小川清彦 (天文学者)」の記事における「『日本書紀』の日付の捏造の証明」の解説

日本書紀の記述中、干支のついた暦日記事総数899件を数える。現代の学問常識からいって、紀元前7世紀日本にこんなキチンとした暦日おこなわれていたとは疑わしい。もしおこなわれていたとすれば、それはいかなる暦法によっていたかが、古暦研究上の問題となる。 小川『日本書紀』暦法西暦450年頃を境に以前儀鳳暦麟徳暦)、以後元嘉暦考えれば日本書紀記載された3箇所平月閏月修正するだけで、『日本書紀』暦日全て解明できることに気付き1938年頃に論文日本書紀暦日について」の大略書いた小川学説要約すると、つぎのようになる神武天皇西暦紀元前7世紀以降紀元後5世紀までの間に、「書紀」に載る月朔干支は「書紀」の編纂完成はA.D.720年)にあたって陰陽寮暦博士らが、「儀鳳暦」の算法使って古代遡って逆算して求めた数値であり、古代日本そのようなが行用されていたわけではなかった。 儀鳳暦は本来「定朔法」(日月天球運動それぞれ不等速とする)をとる暦法であるが、「書紀編纂当時暦算家は逆算の手間をはぶくために、より簡単な「経朔法」(日月天球運動それぞれ等速仮定する)を採用して算定した紀元5世紀以降暦日編纂当たっては、紀元6世紀輸入されていた元嘉暦算法使って算定した元嘉暦はもともと経朔法による簡単な算法による暦法である。 上記のような2種類暦法使い分けしたと設定すると、「書紀」に載っているすべての月朔干支上記暦法結果一致する。ただし、3件だけは月名前に「閏」字を補う必要がある。これは「書紀成本の際に誤って閏字が脱落したであろう儀鳳暦元嘉暦よりも新し暦法である。つまり、日本書紀暦日のうち古い時期西暦450年以前)のものは新し儀鳳暦によって記述され新し時期西暦450年以降)の暦日は古い元嘉暦によって記述されたことになる。これは日本書紀暦日2つ異なグループによって記述されたことを強く示唆する。したがって小川学説明らかになれば『日本書紀』記され暦日後世になって捏造されたことが明確になることから、当時皇国史観抵触する可能性があったために天文台平山清次教授などにより発表断念させられた。 第二次世界大戦敗戦による皇国史観崩壊によって、1946年8月にようやく「日本書紀暦日について」をガリ版刷り40ページ私家版わずかな関係者配り評判を得る。正式な発表勧められ小川は「日本書紀暦日について」を元にした論文日本書紀暦日正体」を執筆するが、結局発表されることのないまま1950年1月10日没する

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