『日本書紀』の「須波神」について
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「諏訪大社」の記事における「『日本書紀』の「須波神」について」の解説
諏訪大社は『日本書紀』の持統天皇5年(691年)8月条に見える「信濃須波」の神を祀るというのが初見である。宮地直一や吉野裕子は、4月から6月にかけて降った雨などの、この年の天候不順が須波神が祀られた原因であると指摘した。この時、他の神ではない諏訪の神が選ばれた理由は、天武天皇と信濃国の関係の深さや、諏訪の地理的特徴などの他に、『古事記』にのみ登場する「建御名方神」はこの時点では創作されておらず、建御名方神となる以前の「諏訪土着の神」が、諏訪湖や天竜川と関連する水神であったからであるとする説がある。
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